今回の記事ではパスカルの『人間は考える葦である』とはどういう意味なのか?
わかりやすく解説します。
目次
パスカルの『人間は考える葦である』
パスカルの二面性
パスカルは器用な人でした。
・物理学者
・非常に熱心な宗教者
という2つの側面があったからです。
物理学者としては真空の実験が有名ですね。
ブレーズ・パスカル
Blaise Pascal
1623~1662
フランスの数学者、思想家。計算機の考案や真空の実験から流体の圧力に関する「パスカルの法則」を発見するなど科学的業績を残す。キリスト教弁証論の覚え書きが死後『パンセ』としてまとめられた。— civilization人名bot (@civ_greatperson) August 28, 2019
他に現在、天気予報で登場するヘクトパスカルという単位がありますが、
このヘクトパスカルという単位はパスカルさんからきています。
ミリバール→ヘクトパスカル はニュースの天気予報コーナーで知りました……
昔 何という単位だったか思い出すのに3秒くらい考えてしまって 歳を感じました(。´Д⊂)— ひさみ (@hisami_romonly) September 6, 2020
現在でも単位に名前が残っているくらい非常に優れた物理学者だったと同時に
パスカルさんは熱心な宗教者でもありました。
ジャンセニスムというキリスト教の一派の中で
清貧(せいひん)を重んじるな非常に戒律が厳しい宗派に
パスカルさんは属していました。
要するにパスカルさんは非常に熱心なキリスト教徒だったってことです。
自由意志を認めるイエズス会のラ・フレーシュ学院で学んだデカルトは自由意志を疑わなかったし、自由意志を認めないジャンセニスムに傾倒したパスカルはデカルトを徹底批判したし、この辺は宗教的対立って感じ
— まーにゃ・うらら姫🖤🎗 (@lyricalium) June 24, 2018
以上のようにパスカルさんは物理学者(科学者)であると同時に宗教者という
ある意味真逆の要素を持ち合わせている方でした。
そしてこの真逆の要素を持ち合わせていることで
パスカルの思想が形作られていたようです。
公務員試験でたまに「パスカルは物理学者であると同時に
宗教者だけど、大事なのは物理学だ」みたいな問題が出題されることがあります。
でもこういう肢があったら×になります。
パスカルは最終的に人間が救済されるためには
宗教(キリスト教)が必要だと主張しています。
だから物理学(科学)と宗教(キリスト教)のどちらが大事か?
となったらパスカルにとっては宗教の方が大事だと考えていました。
こういう肢は司法試験の予備試験の一般教養で出題されるかもしれませんので
ぜひ知っておいてください。
以上のようにパスカルは科学者であると同時に宗教者という二面性がありました。
そういう二面性がよく表れている考え方が『人間は考える葦である』です。
パスカル『人間は考える葦である』について
人間には理性という能力が備わっていて
理性によって考えることができるとパスカルは主張しました。
そのため人間は、
無限の宇宙とか偉大なる神といったことを考えることができるわけです。
そういう考える能力に人間の尊厳がある
とパスカルさんは主張しました。
その一方で人間は葦のように存在として『はかない=弱い』存在だとも
パスカルさんは主張しました。
つまり川辺に咲いている葦(あし)のように
いつ風が吹いてポキッと折れてしまうかわからない、
人間はそんな存在なんだって主張しました。
葦みたいにいつ自分がどうなるか?わからないってことです。
あなたがこの記事の文章を読んでいても
車が突っ込んできてぶつかって命を落とすかもしれません。
こんな感じでちょっと先のことでもどうなるかわからない。
それくらい人間は非常に弱い存在だってことです。
しかも頑張って生きてもたかだか80年くらいで死んでいく、
そういう非常に短くてはかないものだってことです。
人間は考えるところに尊厳があるというわけですが、
一方で葦のような弱い存在なんだというところから
『人間は考える葦である』とパスカルは主張しました。
パスカル『中間者』について
ここまで解説した内容をもう少し硬い言葉で表現すると『中間者』となります。
中間者も『人間は考える葦である』と同じで人間の事を言っています。
『人間は考える』という能力において
無限の宇宙とか偉大なる神というものを考えることができる。
その一方で人間の在り方というのは80年くらいで死ぬので有限ですし
自分がこの先どうなるかも全然わからないという意味で悲惨。
そして死んだら虚無に飲み込まれていきます。
ということで
『無限』と『有限』、『偉大』と『虚無』の間の
狭間にいるということで、人間の存在のことを中間者とパスカルさんは表現しました。
この中間者の状態から脱する、そうしないと人間は救われないと
パスカルさんは考えました。
ではどうすれば中間者の状態から脱することができるのでしょう?
パスカルさんに言わせるとキリスト教信仰だけだとのことです。
パスカルに言わせるとイエスキリストは
中間者という矛盾を克服したものとして考えています。
キリストは神の子であるにも関わらず
人間として現れてそして十字架にかけられて
もっともひどい死に方をしています。
でもその後復活しています。
なので人間であると同時に神の子、
そういう矛盾した側面がキリストにはあって
それを復活という形で克服しました。
だから矛盾した人間を救うものとして
キリスト教の信仰を持つことで
私たちは中間者の状態から脱することができると
パスカルさんは考えました。
ちなみにパスカルさんの主著はパンセです。
⇒パンセ (中公文庫) [ パスカル ]
パスカル『幾何学的精神』と『繊細の精神』について
『幾何学的精神』と『繊細の精神』というのは二面的な考え方になります。
パスカルは人間には幾何学的精神と繊細の精神の2つが必要だと主張しました。
幾何学的精神とはデカルトに代表されるような
大陸合理論的な原理から演繹によって証明することによって
物事を把握していくことです。
⇒大陸合理論についてわかりやすく解説
これに対して繊細の精神とは直観によって一気に
全体を捉えることです。
言い換えると
幾何学的精神は理系的な精神で繊細の精神は文系的な精神です。
パスカルに言わせると理系的な能力にたけている人は繊細の精神に欠け
逆に繊細の精神がたくさんある人は幾何学的精神に欠ける。
ですが私たちが人生で出会う様々な問題に対処するためには
幾何学的精神も繊細の精神も両方ともないとダメだとパスカルはいいます。
でもほとんどの人は片方しか持っていません。
そのために私たちは人生の諸問題に対応できず
悲惨な人生になってしまったとパスカルさんは主張しました。
以上で解説を終わります。