今回の記事ではモンテーニュの『クセジュ』とはどういう意味なのか、
わかりやすく解説していきます。
モンテーニュの『クセジュ』とはどういう意味?
まずモンテーニュはモラリストとよばれる思想家の1人です。
モラリストとよばれる思想家にはモンテーニュ以外にはパスカルが有名です。
で、モラリストとはどういう人たちか?
というと随筆形式、つまりエッセーのスタイルで
人間というものを深く考えた人たちのことです。
主にフランスです。
他の国にもモラリストと呼ばれる人たちはいますが
モンテーニュとかパスカルの2人はフランスの思想家です。
モンテーニュの言葉として有名なのが『クセジュ』です。
クセジュはフランス語で「われ何をか知る」という意味です。
どういう意味でしょう?
「われ何をか知る」というのは「私は何を知っているか、いや、何も知らない」
という意味です。
つまり
「われ何をか知る」という意味で
さらにわかりやすくいうと
「私は何を知っているか、いや、何も知らない」という意味「
です。
これは反語です。
言っていることは『自己の無知の自覚』ということになります。
自分の無知を自覚するということです。
だからクセジュというのは自分の無知を自覚するということの大切さを説いたということです。
これはソクラテスさんの影響を受けています。
⇒ソクラテスの無知の知と問答法(産婆術)とは何か?わかりやすく解説
で、自分の無知を自覚するということですが
どうしてか?というと自分の無知を自覚することによって
寛容と愛を持って生きるということをモンテーニュさんは説きました。
つまり自分は何でも知っているとおごり高ぶってしまい
自分の知識に基づいて裁くということはやめましょうってことです。
実際モンテーニュさんが生きていた1500年代のフランスというのは
社会的混乱、特に宗教裁判などで宗教的な観点から考えられて
違う考えを持っている人間を捕まえて最悪火あぶりにしていたわけです。
そういう社会的な混乱、社会的な不寛容が吹き荒れていた時代に
むしろ自分の無知の自覚を行うことによって
自分の知識に基づいて他人を裁くのではなく
他人に対してあえて寛容を持って生きることを説いたのがモンテーニュです。
ここまで解説してきたように自己の無知を自覚してという感じで
一般的にモンテーニュは懐疑的な思想を説いた懐疑主義者といわれます。
つまりモンテーニュさんはたかだか生きて80年くらいですが
その80年くらいの中で私たちが知る事ができることは
非常にちっぽけなもの。
しかも知ったと思ったことでも絶対確実なことだとはいえないとモンテーニュは考えました。
だから知っていることよりも知らないことの方が多いということで
知っていても確実に正しいとはいえない。
ということで自分の無知とか知ということの不確かさを自覚して
そのことによって他人に対して愛と寛容を持って生きるということを
モンテーニュさんはいいました。
最後にモンテーニュさんの主著はエセーです。
⇒モンテーニュ エセー抄 新装版 [ ミシェル・E・ド・モンテーニュ ]
覚えておきましょう。