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一般知識

功利主義ベンサムとミルの違いと関係性についてわかりやすく解説

功利主義 ベンサム ミル




この記事では功利主義で有名な
ベンサムとミルの違いと関係性についてわかりやすく解説していきます。

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ベンサムの功利主義

功利の原理

ベンサムが始めた立場のことを功利主義といいます。
功利主義は一般的に功利(こうり)の原理というものに立っています。
功利の原理とはどういう考え方か?というと

功利の原理とは

快=善

という考え方のことです。

つまり『気持ちいいこと=よいこと』ということ。
ベンサムは善を快と考えました。

ベンサムに言わせると
結局人間というのは快楽を求めて苦痛を避ける。
このことは人間の本性の中にあること。
なので、快を善として何が悪いんだ!
というのが功利の原理となります。

ベンサムさんが書いた
『道徳および立法の諸原理序説』の中に書いてある

自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいてきた。

というところに人間には快楽を求めて苦痛を避けるという
本性があるから、『快=善』とベンサムは考えました。

道徳および立法の諸原理序説 上【電子書籍】[ ジェレミー・ベンサム ]
道徳および立法の諸原理序説 下【電子書籍】[ ジェレミー・ベンサム ]

量的功利主義

ベンサムは『最大多数の最大幸福』ということを言いました。
どういうことか?というと
最も多くの人が快楽を感じている社会が最も幸せな社会だという意味です。

だからベンサムの目標としては
どうすれば快というものを最大にできるのか?
このことが特に政治の目標なんだと考えています。

そのときに最も多くの人が最も多くの快楽を感じている、
そういう社会が最も理想的な社会だと考えているわけですが、
そのときに快というものを量で測れるというふうにベンサムは考えました。
それが量的功利主義です。

どういうことか?
というと一言で快楽といっても様々な快楽があります。
例えばご飯を食べて「おいしい」と感じる肉体的な快楽もあれば
数学の問題がスッキリ解けてうれしいみたいな精神的な快楽もあります。

以上のように快楽といっても
いろんな種類の快楽があるわけですね。

そういう快楽の種類の違いというものを一切考えない。
つまりどんな快楽でもそれは一つと考えて
そして最も多くの人が快楽を感じる、
そういう社会というものを最も幸せな社会であるとベンサムは考えました。
そう考えることでベンサムは平等を達成することができると思ったのです。

例えば肉体的な快楽よりも精神的な快楽の方が
より重要なんだみたいに考えると
生まれつき肉体的な快楽を好む人とか
生まれつき精神的な快楽を好む人みたいに
生まれつきの違いがあるでしょう。

にも拘わらず精神的な快楽の方がいいと形に
なってしまうと不平等になってしまうわけです。
だからそういう意味ですべての快楽はみな同じ。
そして最も多くの人が快楽を感じる。
そういう社会がもっとも幸せな社会だとベンサムは考えました。

また、『最大多数の最大幸福』の実現のために
努力することが大事だとベンサムは考えました。

ベンサムは量で測れるということを言ったのですが、
快楽計算という計算方法を実際に作っています。

結果主義

それからベンサムの考え方は基本的に結果主義になります。

ベンサムの場合には動機はまったく重視しません。
むしろ結果を重視します。
つまりある行為がどれくらい
社会全体の快楽を増すことになったかという結果のみを重視します。

そのことによって行為の道徳的評価をするという形になります。
だから以前解説したカントの動機主義と
ベンサムの結果を重視する立場とで対立しています。
カントの思想についてわかりやすく解説

現在の道徳の哲学でもカント的な立場が大事なのか
それともベンサム的な結果を重視する立場が大事なのか
ということが現在でも争われています。

法律的制裁(政治的制裁)

基本的にベンサムさんは『性悪説』の立場をとっています。
人間というものは悪だということです。
だから人間は自分で自分の快楽の追求を
抑えることができないとベンサムは考えます。

みんなが個人個人で自分の快楽追求の欲望を満たそうと
活動してしまうと当然、社会的な混乱が生じてきます。
ではどうすればいいか?というと
外側から制裁措置を加えることによって
そういう邪(よこしま)な快楽追求の欲望を抑えるしかないというふうに
ベンサムは考えました。

具体的には特に法律的制裁(政治的制裁)となります。
刑罰を活用することによって個人に快楽や苦痛を与え
結果、公共の利益の増進と利他主義の実現が図れるとベンサムは考えました。

このベンサムの功利主義の観点をさらに展開したのがミルです。

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ミルの功利主義

ミルもベンサムと同じで『快=善』という基本的なスタンスを受け継いでいます。

質的功利主義(ベンサムは量的功利主義という違いがある)

快楽というものは質的に区別されるべきだとミルは考えました。
精神的な快楽を肉体的な快楽より上位にミルは置きました。
だから精神的な快楽の方が肉体的な快楽よりも上級であって
精神的な快楽を追求すべきとミルは主張しています。

それを表している言葉が
満足した豚であるより、不満足な人間である方がよい』です。
つまり肉体的に満足した豚であるよりも
肉体的には不満足であるにせよ精神的な快楽というものの価値が
わかっている人間の方がよいという意味です。

良心(内的制裁として)

ミルは自分で自分の快楽からくる欲望を抑えることができるというふうに考えました。
だからミルは性善説の立場に立っています。
人間というのは善いものなんだってことです。

具体的には何か?
というと内的制裁ということですが『良心』のことになります。
つまりあまり他人を足蹴にして自分の快楽の追求ばかりしていると良心が痛むってことです。
こういう形で良心の呵責みたいなものが
内的制裁として発動してそのことによって利己的な快楽追求の欲望が抑えられるとミルは考えました。

ミルとベンサムの違い

・ミルは性善説だけどベンサムは性悪説
・ミルは質的功利主義だけどベンサムは量的功利主義

です。

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ベンサムとミルの関係

ベンサムとミルの関係について解説します。
ミルはよく『功利主義のヒューマナイザー』なんていわれます。
一般的にベンサムが始めた功利主義というものをミルはより人間的(ヒューマン)なものに
もしくはキリスト教的な価値観に合うものにしたなんていわれます。

だから行政書士試験や公務員試験対策としては
ベンサムは悪い人でミルはいい人みたいな覚え方をしておくと
間違いにくくなると思います。

実際にミルがいい人でベンサムが悪い人だったというわけではありませんので
お間違いのないようにお願いします。

以上で解説を終わります。