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一般知識

聖武天皇がしたことをわかりやすく解説

聖武天皇 したこと




この記事では聖武天皇がしたことをわかりやすく解説していきます。
ただ、前回解説した大宝律令の知識が大前提となっています。
記事途中でよくわからない場合は
必ず大宝律令の記事をご覧ください。
そうすればわかると思います。
大宝律令についてわかりやすく解説

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聖武天皇がしたこと

鎮護国家思想

奈良時代が710年から784年です。
『なんと(710年)でかいな平城京』と覚えます。
今の奈良県の奈良市に平城京という都があった時代です。

そんな奈良時代ですが、当時の
有名人は聖武天皇(しょうむてんのう)です。
めちゃくちゃ大事な人物になります。

聖武天皇は文化の歴史にも出てきますし
土地制度の通史でも登場するくらいの有名人です。

まず仏教の歴史に聖武天皇が登場するときには
どんな言葉が使われるか?というと、
聖武天皇がもっていた考え方です。

聖武天皇は鎮護国家(ちんごこっか)思想で有名です。
鎮護国家思想とは仏教の力で災いや争いをなくすという考え方になります。
全国に仏教パワーをみなぎらせて
その力で国を守ろうと考えました。

具体的には全国の『国(こく)』に国分寺という国を作らせました。
武蔵野国の国分寺は現在の東京都の国分寺市に作られました。
そして全国の国ごとに国分寺という寺を聖武天皇は作らせたのですが、
総本山は奈良の東大寺になります。

奈良の大仏

奈良の東大寺には大きな大仏がありますね。
これも聖武天皇が作らせました。
ちなみに奈良の大仏の身長って何メートルあるか知ってますか?
奈良の大仏は身長が18メートルありますが、
それってガンダムと同じ身長です。

だからガンダムの大きさをイメージすれば奈良の大仏がわかるし、
奈良の大仏をイメージすればガンダムの大きさが分かります。

東京のお台場に行けばガンダムが立ってますから
見に行くと、「あぁ、大仏ってこれくらいの高さなんだ」
ってわかりますよ。

ガンダムを作ったのはアムロのお父さんですが、
大仏を造らせたのは聖武天皇です。

墾田永年私財法

それから聖武天皇がしたことですごく大事なことがもう1つあります。

それは大宝律令で決められたルールの1つを変更してしまったということです。
大宝律令についてわかりやすく解説
最初に定めたルールがうまくいかなくなっていったからです。

どういうことかというと
大宝律令のところで解説したように
重税によって成年男子になるとめちゃくちゃ生活が苦しくなります。

どうして生活が苦しいか?
というと国に与えられた土地にいつまでも住んでいるからです。
そんな土地からさっさと逃げ出して
お金持ちの家で召使でもやっていた方が生活が楽です。

お金持ちの家の召使は
国から与えられた土地で生活しているわけではありません。
お金持ちから給料をもらって働いているわけです。
だから国に重税を納める義務は生じません。

なので生活が成り立たなくなった人は
どんどん国から与えられた土地から逃げ出して
遠く離れた場所のお金持ちの家で
召使になった人がたくさんあらわれました。
そういう意味では行方不明者がいっぱい出るようになったのです。

大宝律令のところで解説したように
6歳のときに土地が与えられます。
そして12~13年たち、20歳が近くなった。
では兵隊として軍隊に入ってもらおうと
その人の家に行くと、誰もいないという問題が聖武天皇のころに発生しました。

兵隊のなり手がいなくなったら
国を守る人がいなくなります。
そうなると国が成り立たなくなるので大問題になるわけです。
だから土地から逃げ出さないように
「国から与えられた土地に住むのは魅力的だ」と
アピールする必要性が出てきたのです。

で、やったことが三世一身法(さんぜいいっしんのほう)です。
三世一身法というのは聖武天皇の前の天皇がやったことになります。
国から与えられた土地の周りが荒地だった時、
残業をしてその荒れ地を田畑に変えたら、

新しい田畑は子孫代々、三代目まで自分のものにしてよいとしました。
三代目までは自分のものだから、
その分の税は国に納めなくてもよいわけです。
ただ孫が死んだら国のものになるので
あまり魅力的ではありませんでした。

そこで聖武天皇はどうしたか?というと
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)という法律を出しました。
墾田永年私財法というのは開墾地の永久私有を認めるものです。

どういうことか?というと
国から与えられた土地がある。
その土地を耕して租庸調を納める。
そして残業をして周囲の荒れ地を切り開きます。
新たな田畑ができました。
その新たにできた田畑は子孫代々、
息子、孫と受け継いでいってOKということです。
自分が死んだあと、その土地を国に譲る必要はないとしました。
国の土地ではないので、国に租庸調を納める必要はありません。
これが墾田永年私財法です。

墾田永年私財法は魅力的ですよね。
でも、一般庶民にとっては国からもらった土地に住んで
租庸調を納めるだけでもめちゃくちゃ大変。
残業する余裕なんてありません。
だから、結局、墾田永年私財法を活かして潤ったのはお金持ちでした。

どういうことか?というと
重税で苦しんでお金持ちのところに逃げ出した召使がいっぱいいます。
召使を使って荒地を切り開かせるわけです。
「新たにできた田畑です」ということでお金持ち自身の名前で
国に申請すれば、国は「あなたの土地として子孫代々保有し続けていいですよ」となるわけです。

結局、墾田永年私財法によって
お金持ちの自分の土地が増えただけで終了ということになりました。

結局、墾田永年私財法によってお金持ちである
貴族やお寺や神社の私有地が拡大することに。

そして墾田永年私財法に基づいて
貴族は寺社は初期荘園と呼ばれる荘園を形成しました。
時代は8~9世紀のことです。

ちなみに

初期荘園は

・自墾地系荘園
・墾田地系荘園

ともいいます。

で、ここでいう荘園(しょうえん)というものですが、
荘園は土地だけではありません。
荘園は土地以外にも建物も含みます。
とはいえ、荘園を領地というと語弊があります。

どういうことか?というと
例えば、飯田という人が武蔵野国に住んでいたとしましょう。
飯田さんは武蔵野国では結構なお金持ちだったので
召使などもたくさんいたとしましょう。

飯田さんは飯田さんで6歳のときから
国に与えられた土地があります。
これは仕方ありませんが、
口分田と呼ばれる自分で耕して租庸調をおさめないと
いけない土地だったとしましょう。

で、墾田永年私財法が出されたので
自分の召使を総動員して広大な田畑を新たに切り開かせます。
どのくらいの広さがあるか?というと一つの町くらい、
千代田区くらいをイメージしてください。
なんなら道路を作るし、橋もかけるし
召使たちがまとまって住む集落までいくつか作るって感じです。

それから召使たちがいくつかの集落にまとまって住んでいるので
その集落同士作ったものを持ち寄って取引する場所まで作ります。
これ全部、飯田さんのものになります。

土地っていっても建物や橋や道路も全部含みます。
だから正確には土地ではありません。
では領地か?というとそうでもありません。
もし領地であれば、飯田さんの地域内で起きた犯罪は
飯田さんが取り締まりをして裁判しないといけません。
でも裁判は国司が行います。
だから飯田さんの領地ではありません。

ではどんな言葉がいいかな?
ということで作られたのが『荘園』です。

あくまで武蔵野国の荘園内で起きた犯罪は
国司が裁きますし、警察も国司が総責任者なので
飯田さんではありません。

ということで領地といっても語弊があるので
荘園という言葉ができました。

奈良時代に聖武天皇が出てきて
墾田永年私財法という開墾地を自分のものにできるという法律だったので
有力者たちは初期荘園を各地につくりました。

今回の記事は以上になります。