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一般知識

栄西と道元の違いまとめ

栄西 道元 違い




この記事では栄西と道元の違いについて解説します。

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栄西と道元の違い

前回の記事では他力信仰で有名な法然と親鸞について解説しました。
法然と親鸞の違いをわかりやすく解説

他力信仰だと他にも一遍が有名です。
一遍は時宗(じしゅう)です。
全国を遊行して踊念仏ということで時宗を広めたので遊行上人(ゆぎょうしょうにん)といわれたりします。

ここまでが鎌倉仏教の中では他力信仰です。

今回の主役である栄西と道元は自力信仰です。
どういうことか?というと
自分の力で悟りの境地を目指すということです。
具体的には禅仏教です。
座禅を組んで悟りの境地を自分の力で目指すということです。

自力信仰では栄西と道元が有名です。

栄西と道元の宗派の違い

・栄西は臨済宗
・道元は曹洞宗

です。

栄西と道元の違いですが
どこに求めるとわかりやすいかというと
公案(こうあん)のあるなしで考えると分かりやすいと思います。

公案とは何か?というと
師匠が弟子に出すなぞなぞのことです。

公案を必死に考える、
これが悟りに到達する一つの手段として考えられています。
例えば両手で手を叩くと「パン」という音が鳴りますが、
その「パン」という音が右手から出たのか、
左手から出たのか答えなさいみたいなわけのわからないなぞなぞが出題されたりします。

そんなわけのわからないなぞなぞを出されて
つまらない答えを出したりすると棒で叩かれたりするのです。
今から考えたらパワハラとか優越的地位の濫用みたいな話になって
労基署が調査に入りそうな事案だと思いますが、
昔はそんなことをしていたのですね。

しかも公案を繰り返しているといつの間にか悟りに到達するといわれていました。
それが栄西の臨済宗です。

逆に「公案なんかやったら労基署がきて大変だろう」
といったかいわないかは別として(苦笑)、
公案というものをやらなくて
ひたすら座禅。これを只管打坐(しかんたざ)といいます。
この只管打坐をするのを道元の曹洞宗です。

只管打坐をすると身も心も一切の執着を離れて
悟りの境地に至る。これを信心脱落(しんじんだつらく)といいます。

また、ひたすら座禅に打ち込んでいると
座禅そのものが悟りの内容を表すようになるそうです。
これを修証一等(しゅしょういっとう)といいます。

ただひたすら座禅もやっぱりパワハラとか
言われそうですけどね。
会社の上司が部下に「一日中正座しとけよ!」って
どう考えてもパワハラ事案ですからね。

あなただったら只管打坐と公案どっちがいいですか?
私だったらひたすら座禅はつらいので
公案の方がましかなって思います。
二者択一ってつらすぎますけどね。

話を元に戻して

栄西と道元の違い

・栄西は公案
・道元は只管打坐

です。

このような形で道元の場合は
只管打坐ということでひたすら座禅。

公案というものがあって
それが悟りに至る一つの手段として考えられている方が栄西ということになります。

以上で解説を終わります。