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一般知識

デュルケムとウェーバーの理論を比較しまとめてみた!

物質文化




以前までの記事でウェーバーについてかなり詳しく解説してきました。

今回の記事ではエミール・デュルケムとウェーバーの理論を比較しまとめてみました。

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エミールデュルケムとウェーバーの理論比較

デュルケムってどんな人?

デュルケム ウェーバー

エミール・デュルケームはコントの後に
フランスで活躍した社会学者です。

デュルケムはいろんな本をいっぱい書いています。

デュルケムの著書として有名なものは

社会分業論 (ちくま学芸文庫) [ エミール・デュルケーム ](35歳の時に書いた著書)
社会学的方法の規準 (講談社学術文庫) [ エミール・デュルケーム ](デュルケムの社会学的な立場・方法論を明らかにした本)
自殺論 (中公文庫) [ デュルケーム ](デュルケムが提唱した方法論を使って書いた39歳の時の著書)
宗教生活の基本形態(全) ──オーストラリアにおけるトーテム体系【電子書籍】[ エミール・デュルケーム ](54歳の時に書いた著書)

などです。

デュルケムとウェーバーの理論を比較

デュルケムとウェーバーは社会学の中では
いろんな意味で物の見方、考え方が対比的に比較されます。

社会と個人

たとえば『社会』と『個人』を両極に置いたとしましょう。
子供の頃は社会から個人(子供)が影響を受けることが多いですよね。
子供は周りの影響を受けやすいってことです。

小学校で先生や両親から「イジメちゃだめだよ」とか
「ちゃんと座って食べなさい」みたいに。

でも、大人になって働くようになると
個人(大人)が社会に対して影響を与えることが多くなります。
先生の立場になって、生徒に社会のことを教えたりしますし、
政治家になって法律を作って世の中を変えていくこともできます。

デュルケムとウェーバー
こんな感じで社会と個人を両極端に置いた時に

・社会が個人に対して影響を与える立場を重視する社会学者の代表・・・デュルケム
・個人が社会に対して影響を与える立場を重視する社会学者の代表・・・ウェーバー

です。

だからウェーバーは先生みたいな大人な視点で物事を考えている感じで
デュルケムは子供の視点で物事を見ている感じだと考えると理解しやすいかもしれませんね。

ちょっとわかりにくいようなら
デュルケムの社会が個人に影響を与える立場だったら、
社会をたとえば『集団』という言葉に置き換えて考えるとわかりやすいかもしれません。

集団が個人に影響を与えるから
デュルケムの立場を『方法論的集団主義』といったりします。

社会(集団)は個人が集まってできるものですよね。
これは大前提です。
ではいったん社会ができると個人に対していろんな影響や規制を与えるものに変わります。

たとえば、個人がいっぱい集まって村という個人の集まり(集団)ができたら
もしかしたらゴミ出しは毎週月曜日ってルールができるかもしれませんし、
あなたは米を作りなさい、あなたはキュウリを作りなさいみたいに
みんなが助け合うためのルールを作るかもしれませんね。

そうやって社会というのは独自なものになっていくわけですね。
たとえばある村は農作物を重視しているけど、
別の村は鉄鋼業が盛んかもしれませんよね。

こんな考え方を『社会実在論』といいます。
デュルケムは社会実在論の立場です。

社会実在論というのは社会というのは個人から成り立っているわけですが
社会が成立した瞬間に個人の外部にあって
個人にいろんな影響を与える独自の存在になるという考え方のことです。

デュルケムは

・方法論的集団主義
・社会実在論

です。

これに対して個人が社会に対して影響を与える立場がウェーバーです。
だからウェーバーの場合には個人があくまでも中心になるので
方法論的個人主義』となります。

ウェーバーとデュルケムの比較

・ウェーバーは方法論的個人主義
・デュルケムは方法論的集団主義

です。

当たり前の話かもしれませんが
方法論的集団主義と方法論的個人主義は対立しています。
それから社会の捉え方というのも、デュルケムは社会は個人から成り立っているわけですが、
成立した瞬間に個人に対して外在的なものになって独自の性質を持った独自の存在になるという社会実在論を主張しました。

これに対してウェーバーさんは社会は名ばかりであって
その実態は個人とか個人同士の相互作用に過ぎないと考えました。
ウェーバーから言わせると社会というのは名前のみが存在するという形で
社会唯名(ゆいめい)論』とか『社会名目(めいもく)論』を主張しました。

ということは社会についての捉え方もまた、

・デュルケムの社会実在論
・ウェーバーの社会唯名論(社会名目論)

の対立構造が存在します。

だから社会学上の方法論であったり
社会に対する考え方はデュルケムとウェーバーでは以上のように違うということです。

集合表象

たとえばあなたが通っている会社や学校。
その学校や会社全体が社会だと思ってください。

あなたが通っている学校や会社は1人1人の個人から
成り立っています。

でも1人1人が集中して仕事や勉強に取り組んでいるわけです。
1人1人が近寄りがたいくらいに一生懸命仕事や勉強に取り組んでいるなら
ものすごい緊張感、近寄りがたさを感じるはずです。

1人1人から発せられた一生懸命さが
全体に充満した時に
1人1人の個人でできた会社や学校ですが
その雰囲気が個人に外在して、個人に対してものすごく影響を与えます。

一生懸命頑張ろうという雰囲気が学校や会社中に張り詰めたら
その中にいる個人も影響お受けますよね。
そんな空気感の中で「仕事さぼうろうかな」って言いにくいですよね。
みんな頑張ってたら自分も頑張らざるを得ません。

そういった空気を私たちは肌で感じ取りますよね。
だから社会全体がその中にいる個人に「あなたも頑張りなさいよ」
と促していくわけです。
そうなったら「自分も頑張らないといけないな」って気持ちになるはず。

学校や会社全体に充満しているような雰囲気みたいなものを
デュルケムは『集合表象(しゅうごうひょうしょう)』という専門用語で表現しました。

張り詰めた「がんばろう!」みたいな集合表象が
私たちの外部にあって私たちに「がんばれ!」と促していると考えると分かりやすいと思います。

逆にあまりやる気のない人がいっぱいいたら
だらけた空気感になります。
こういっただらけた空気感だと、
そういった緊張感のない雰囲気が学校や会社に充満したら
あなただってやる気がなくなって居眠りしてしまうかもしれませんね。

そんな感じで周りのやる気があなた個人に対して与える影響って大きいですよね。
そういうふうに捉えるのがデュルケムです。

逆にウェーバーだったら周りがどうであれ、
自分にとっては会社だったら昇進すること、学校だったら大学に合格することなどですよね。

周りが居眠りしていたって
自分は昇進したり大学合格という目的があるから
その目的を達成するために自分は一生懸命頑張るとウェーバーは考えます。

なんなら周りがダメでも
自分が頑張ることで他の人に影響を与えて
会社全体、学校全体を作り変えればいいとウェーバーは考えるわけです。

自分が一生懸命勉強して東大に合格して
進学校に学校の雰囲気を変えていくみたいなイメージです。

そうなったら先生も授業のレベルも上げていくでしょう。
周りの生徒も「がんばれば東大に受かるかも」と思って
みんな一生懸命勉強するようになるかもしれませんね。

こんな感じで個人が社会に対して働きかけて
自分そのものが所属する社会の在り方を作り変えていこうという考え方がウェーバーです。

デュルケムとウェーバーの理論を比較してみました。