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一般知識

ウェーバーの心情倫理と責任倫理の違いを具体例とともにわかりやすく解説

ウェーバー 心情倫理 責任倫理 違い




この記事では

ウェーバーの

心情倫理と責任倫理の違い

について具体例とともにわかりやすく解説していきます。

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ウェーバーの心情倫理と責任倫理の違い

まず2つに倫理を分けます。

(1)心情倫理
(2)責任倫理

と2つに分けます。

心情倫理(しんじょうりんり)というのは
動機が正しければいいということです。

責任倫理(せきにんりんり)というのは結果責任です。
出た結果に対して責任を負うということ。

ここで具体例を挙げて
責任倫理と心情倫理の違いについて考えていきましょう。

政治は人々を巻き込んでいくわけですが
そのときに心情倫理というものと責任倫理の違いについて
日本の政治学者は以下のように発言しています。

1945年8月14日第二次世界大戦が終結しました。

戦争が終わった時に
一般庶民の人たちが「軍人が泣いている。お気の毒に」といったそうです。
「一生懸命戦ったのに敗れたのは本当に気の毒だ」と一般庶民が泣いているわけです。
軍人に対して一般庶民が同情していたわけですね。

そこで「それって違うんじゃないの?」って政治学者は考えたのです。
そもそも自分たちがリーダーになって戦争をして敗れたんだったら
責任を負うのは当たり前だろうという発想が日本にはない。
日本の場合、一生懸命やればそれでいいんじゃないか、
という話になります。

それは動機が正しければそれでいいという心情倫理につながります。
でも、それは政治的な責任の取り方とは違うのではないかという話です。

たとえばあなたが「行政書士になりたい」
「中小企業診断士になりたい」という動機は正しいでしょう。
行政書士や中小企業診断士になって会社設立のお手伝いをしたり
クライアントの悩みを解決してあげるみたいなお仕事ですからね。

そういった動機は行政書士受験や中小企業診断士試験受験の
心情倫理としてはよいでしょう。

ただ結果が出なかったときどうしましょう?
一生懸命やったからいいとあなたは納得できますか?
違うと思います。

試験は受かってなんぼのものですからね。
国家試験は受からないといけないものです。
「私は模試でいい成績とってるからね」
っていう人もいるでしょうけど、試験本番でいい点数がとれなければ意味がありません。

合格、不合格という結果が出るものに対して
勝たないといけないものであれば
それに対して責任を負う(責任倫理)ということです。
これは政治と同じです。

一生懸命やればいい、動機さえ正しければいい(心情倫理)というのは
まったくナンセンスです。
政治や受験はそういった意味で同じです。

他にも具体例を挙げるとすると
心情倫理の場合、テロリストです。
自爆テロをすればいいのか?って話です。
無関係な人が亡くなってしまいますよね。
それでいいのか?って話になります。
「動機正しいですよ。自国のことを考えてます。愛国者です」
といわれてもそれでいいのか?って話です。

他にも心情倫理の具体例として『ストーカー』を挙げることができます。
ストーカーの被害毎年起こりますね。
「私はあなたのこと好きだから」とつきまとい行為をする。
それは動機としては正しい(心情倫理)かもしれません。
でもやっていること(結果責任、責任倫理)はとんでもないですよね。

責任倫理(結果責任)は政治においては重要になります。
責任倫理の具体例としては選挙で負ければ内閣が退陣するみたいな話です。

最後にまとめると

心情倫理と責任倫理の違い

・心情倫理は動機の正しさが重要で具体例がストーカーやテロリスト
・責任倫理は結果責任で具体例が選挙に負ければ内閣が退陣する

でした。

今回の記事は以上になります。