この記事では福武直(読み:ふくたけただし)が
研究した日本村落のポイントについてわかりやすく解説します。
福武直が研究した日本村落とは?
幕末から明治に変わるときに
日本の村落というものは2つにわかれていきました。
・同族型村落(東北地方)
・講組型村落(西南日本)
です。
幕末から明治にかけて日本の村落は
上記2つの類型に区分されるようになりました。
1つは同族型村落(どうぞくがたそんらく)です。
同族型村落は東北に多いタイプです。
同族型というのは有賀喜左衛門の同族団の影響を受けています。
むしろ既に幾度の背後には、おおまかには東日本的な同族団制は、たとえば民度によって政治家が後押しされ、あるいは縛られる。
— メカ台真司 (@MECHADAI) January 22, 2010
なので先に有賀喜左衛門の同族団について解説します。
そのあとで福武直が研究した日本村落のポイントについて解説していきます。
有賀喜左衛門の同族団
有賀喜左衛門は民俗学者で
柳田国男の影響をかなり受けています。
⇒日本民俗学の創始者柳田國男についてわかりやすく解説
有賀喜左衛門は戦前の日本の地域社会のことを
『同族団』という概念でその特徴を明らかにしました。
同族団というのはどういう集団か、これから解説していきますね。
まず『本家(ほんけ)』と『分家(ぶんけ』という言葉をご存じですか?
例えば『~家』というのをずっと守っている家がありますよね。
お墓を守っている家といってもよいです。
『~家』をずっと守っているのを本家といいます。
先祖代々のお墓を守っているのが本家です。
先祖代々のお墓を守る!墓守は田舎に残った者の使命のように言われるが、そもそも今のような立派な墓を庶民が持ったのはほんの100年程度の話なのです。
— まっつん 人生探究の旅ナビゲーター(幸運の晴れ男) (@MatsudaTakefumi) June 13, 2021
お盆になると本家から分かれていった分家の人たちが
みんな本家に集まってきて
お墓参りに行ったりします。
母方は七月お盆。
本家の仏壇拝んで、お墓参りして、皆で外食。
田舎あるある🤭 pic.twitter.com/jm4lNH3ZAK
— mayu (@takamayu) July 14, 2022
そういった本家、分家という家の本末(ほんまつ)の系譜関係に基づいて
生活の共同をもつ階統的な家連合のことを同族団といいます。
系譜関係というのは代々『家』を血統的にさかのぼっていくことができるような関係のことです。
本家がずっと代々守ってきて
それから枝分かれした分家というのが
一種のヒエラルヒー構造を持っているわけです。
本家の方が主であって分家の方が従、
それに従う感じです。
それから階統的というのは
ピラミッドの形の上下関係があるという意味になります。
本家が分家と協力しながら『~家』をずっと守っていく
一つの生活共同体的なものを同族団といいます。
例えば、本家に何か困ったことがあると
分家が集まってきて親族会議を開きます。
『~家』が何か外部から影響を受けたり
何か困った問題が起こると分家が集まってきて
親族会議をします。
そして親族全体でもって
その問題の解決に当たります。
ということはまさに生活の共同というのを持っているわけです。
本家を中心としながら分家も協力しながら『~家(なになにけ)』を守っていくわけです。
それは上下のヒエラルヒーの構造の中で
家をずっと守っていくわけです。
その家と家との結びつき、連合体というのを同族団といいます。
戦前の地域社会というのはまさに
本家的な上に位置する上位の家と
小作人みたいな本家とは違って従っていくような家。
そういうのが上下の関係の中で
地域社会の秩序というのを守っていくわけです。
それをまさに同族団という言葉でよんでいるということです。
福武直による同族型村落と講組型村落
同族団というのは上限関係のヒエラルヒーで
家連合として捉えていこうということです。
だから村落の中が例えば代々地主をやっているような
名門の家というのがありました。
それから代々自分の家を持たないで小作人として
雇われているような家もありました。
すると地主と小作人みたいな上下の身分的な違いによって
地域社会の秩序が保たれているようなものを
同族型村落といいます。
東北地方ではいまだに例えば家の中でも
代々家を継ぐのは長男です。
その長男が家の中の子供たちの中で別格として
重んじられたりします。
長男が相続したりしますから。
だからそういう伝統的なものにこだわるところが
東北地方の特徴です。
日本は類型的には南日本の一部を除き鉄板の直系家族の国です。家の財産は通常長男が継ぎ(誰が継ぐ形でもいいのですが(東北の一部は絶対第一子だった)予め決まっている必要がある。遺言で決まるのではない)、祖父と父と息子は同居する。次男坊以下は家を出る。
— Tommiesmurmuring (@paultommie) January 18, 2023
村の中の名士みたいな家や地主もあれば
土地を耕して自分の土地を持たないような小作人もいます。
そういった地主と小作人みたいな関係は上下の身分関係があります。
そういう上下の身分関係によって
村落の秩序が保たれているものが同族型村落です。
同族型村落は東北地方に多いタイプでした。
全体としては同族型村落から
明治に変わると市民平等に変わっていきます。
ということは士農工商という江戸時代の身分制度が崩壊すると
4つの身分は等しくなります。
人間の間の上下関係を否定して
みんな人間は平等であるという考え方が
社会の変化とともにもたらされるわけです。
そのため、封建時代までの同族型村落的な感じから
今度は講組型(こうくみがた)村落へと変わっていくことになります。
講組型村落とは地主と小作人みたいな上下関係によって
村の秩序を保っていくのではありません。
平等な家が横に結びついたような形で
村落の秩序を保っていくというのが講組型村落です。
東北の家というのは長男を別格視して大事にするのに対して
西南日本の方は末子(ばっし)相続といって
末の子供が家の後継ぎをするということが多いです。
西南日本ではかつて末子相続の慣行がありましたよ。RT @Morinhoor: 日本は長男とはびっくりです。RT @picoban: @agneaudor ギリシャとかモンゴルは末子相続のようですが、インドはどうなのでしょう。神話や伝承文学が長子に不利にできているのは、その絶対数に
— ミチオ中山 (@nakayamamichio) April 2, 2011
長男とか次男と次々と成長していった人が
どんどん家を出ていきます。
最後に残った一番末っ子が家に残って
その家を継いでいくわけです。
だから兄弟同士の間でも上下関係がない
フラットな関係なわけです。
だから家と家との関係も村落の中で上下の身分さを否定して
対等なフラットな家同士が横に結合することによって
村社会を維持するのが講組型村落です。
ということは幕末から明治にかけて
かつての同族型村落から日本全体を見ると講組型村落へと変わっていきました。
ただし、いまだに同族型村落的な特徴を東北地方では残しています。
今回の記事は以上になります。