前回の記事では大衆社会論で有名なルボンさんが主張した『群集』について解説しました。
⇒ルボンの群集心理(群衆心理)とは?わかりやすく解説
・群集
・公衆
・大衆
とあるわけですが、
今回の記事ではタルドさんが主張した『公衆』とはどういうことなのか?
解説し、同時にタルドが主張した『模倣の法則』についてもわかりやすく解説します。
タルドの主張した『公衆』について
前回解説したルボンさんの『群集』というのは
集団になると理性を失ってしまうからダメだみたいな話でしたね。
⇒ルボンの群集心理(群衆心理)とは?わかりやすく解説
これに対してタルドさんが主張した『公衆』というのは
群集と対比的な考え方をします。
タルドさんによると、まったく見知らぬ人が集まってグループを作ったとしても
コミュニケーションをとって集団になったとしても合理的な討論は可能だと考えました。
現在、公衆という言葉は『公衆衛生』とか『公衆の面前で』みたいな表現でしか使いませんね。
公衆の面前でイチャついとる pic.twitter.com/fmuOMeH89p
— しろち@遊郭無限発射編 (@Shiroty_MR) January 10, 2022
『公衆電話』になると死語に近いかもしれません。
災害時つながりやすい「頼みの綱」 公衆電話、27年で6分の1に減 「残すため」積極利用の呼び掛けもhttps://t.co/GwSTH4jIoT
— 神戸新聞 (@kobeshinbun) January 14, 2022
他にも『公衆トイレ』になると、ちょっとイメージが悪い印象です。
いろいろ整理してたら30年近く前に新宿南口を撮った写真が出てきました、いまは下りのエスカレーターがある辺りかな・・・しかし手前の公衆トイレは流石にちょっと入れなかった思い出w #新宿区 #shinjuku pic.twitter.com/4YjLA454UN
— カメラのアルプス堂 (@alpsdo) January 8, 2022
ですが、社会学や政治学における『公衆』というワードはプラスのイメージで使われます。
・知的
・合理的
といった感じでプラスのイメージで使われます。
ではタルドはどんなイメージで『公衆』というワードを使ったのでしょう?
タルドさんは1843年3月12日生まれのフランスの社会学者でした。
タルドさんも前回解説したルボンさんと同様、
レジオンドヌール勲章シュヴァリエという栄典を授与されています。
そんなエリートだったタルドさんがイメージした『公衆』というのは
当時の政治新聞の投書欄で関係しあった人たちを指しています。
現在の新聞の投書欄って感想の垂れ流しです。
今朝の新聞の投書欄に「これって、どうなんだろう…?」という投稿を見つけてモヤモヤしている…
とあるトラブルが起きて、SNS上で誹謗中傷を受けたって内容なんだけど…
文字数もあって、なんだかモヤッとした感じ— まさやん 🐰🌙&🐾🍓 (@masayan4194) January 13, 2022
でも、タルドさんが生きていた時代の新聞の投書欄というのは議論の場になっていました。
新聞の投書欄に誰かが書くと、「いやそれは違う」と反論する投書が掲載され
さらにまた違う投書が掲載されたりしていました。
そうすると、投書欄に書いている人たちというのは
住んでいる場所がバラバラで、お互い知らない者同士という可能性が高いです。
いろんな人が新聞に投書しているわけですね。
でも、タルドは新聞の投書欄というのはすごく合理的な討論が進んでいたと考えました。
まったく見知らぬ人が討論しながら結びついたということで、合理的な討論が可能だということです。
これが近代的な民主主義における理想の集団だといった感じでプラスのイメージで捉えました。
だから『公衆』なわけですね。
ただちょっと批判的な意見を言わしていただきますと
タルドが生きた時代は1800年代です。
この時代で新聞が読める人というのは超エリートだったことでしょう。
お金を持ってるし頭もいい人たちでしょう。
日本だと新聞というのは新聞配達員があなたの自宅まで毎朝届けてくれますよね。
でも現在でもそうですがヨーロッパの新聞は町で売るのが普通です。
しかもタルドが生きた時代の新聞は1部で現在の貨幣価値だと1000円くらいだったといわれています。
もしあなたが新聞を1部1000円で売ってたら買いますか?
買わない人の方が多いのではないでしょうか。
そんな高価な新聞をあえて町で買う人たちですから
頭もいいし理性的な行動をとる可能性が高いでしょう。
しかも当時の新聞に投書すると肩書も掲載されました。
エリートが自分の肩書を掲載して新聞に投書するわけですから
いい加減なことを記載できません。
現在の匿名掲示板とはわけが違います。
そういうこともあってタルドさんの時代において
新聞の投書欄で合理的な討論がされていたのは当然のことだと思います。
タルドの模倣の法則とは?
あとタルドさんは社会現象は真似で拡がると考えていました。
タルドさんはデュルケムのライバルでした。
ちなみに
・主体を中心に考えていく流れ(マックスウェーバー)
・構造を中心に考えていく流れ(デュルケム)
があって、『構造を中心に考えていく流れ』であるデュルケムさんと
タルドさんはライバル関係にありました。
wikipediaによると
1890年に『模倣の法則――社会学的研究』を発表し、社会学を一般に受容させた人物の一人である。後に社会学の父と称されることとなるデュルケムに対して、分業が道徳的な事実であるか否か、犯罪が正常であるか否か、社会が実在するのか否か(社会実在論)といった多岐にわたる論点をめぐって論争を繰り広げた。
以上引用終了
といった感じでタルドさんとデュルケムさんはいろんな討論を繰り返していたようです。
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で、タルドさんは『自殺』も真似(模倣)で拡がると考えたのです。
社会そのものだって模倣からできたとタルドさんは著書『模倣の法則』で主張しています。
これが模倣の法則です。
以上で解説を終わります。