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一般知識

ヘーゲルの弁証法についてわかりやすく解説

弁証法




今回の記事ではヘーゲルの弁証法についてわかりやすく解説します。

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ヘーゲルの弁証法についてわかりやすく説明

ヘーゲルは一元論の完成者

前回の記事でフィヒテの主観的観念論とシェリングの美的観念論について解説しました。
フィヒテとシェリングは一元論者でこちらの記事で解説しています。
フィヒテの主観的観念論とシェリングの美的観念論についてわかりやすく解説

フィヒテとシェリングはカントの二元論から一元論化の流れに持っていった方々です。
カントの二元論はこちらの記事で9000文字以上使って解説しています。
カントの思想についてわかりやすく解説

一元論化の完成者がヘーゲルです。
ヘーゲルはドイツ観念論の完成者とされています。
一般的に西洋哲学というものはヘーゲルにおいていったん完成されたという歴史的な流れがあります。
このあとどういうふうな形でヘーゲルの影響から抜け出して
独自の哲学を作り出すことができるのか?というのが
ヘーゲル以降の哲学者の使命という形になっています。

平成の音楽でいったら小室哲哉さんくらいの影響力なのかもしれませんね。
あるいはミスターチルドレンの桜井和寿さんくらいの影響力かも。

シンガーソングライターの方々はあえてミスチルの音楽を聴かないっておっしゃる方もいます。
どうしてか?
それはミスチルの桜井さんのようなメロディーを作ったら
「あ、これミスチルのパクリじゃね?」
って言われてしまうからです。

ヘーゲルの絶対精神とは?

そういう意味でヘーゲルという人は
巨大な哲学者なわけです。

ヘーゲルという人は先ほども言いましたように
一元論の完成者。
すべての事柄を何に基づいて説明しようとしたか?というと
それが絶対精神というやつです。
これこそがヘーゲルに言わせると唯一存在するものになります。
そして絶対精神とは何か?簡単にわかりやすくいうと『神の精神』ということになります。

ヘーゲルはプロテスタント系のキリスト教徒です。
なのでキリスト教における神ということになります。
とにかく絶対精神というものが神の精神みたいなものであって
これが様々に発展していくということがこの世界の成立なんだとヘーゲルは考えています。

だからスピノザの考え方に近い形になります。
スピノザの神即自然についてわかりやすく解説

スピノザの場合だと神が様々な仕方で
姿かたちを変えて現れることによってこの世界は成立するという形になります。

ヘーゲルは実際にスピノザの影響を受けているわけですが
そのような形で絶対精神というのが様々な仕方で運動・発展していく。
これがこの世界全体なんだと考えています。

ヘーゲルが理論化した法則である弁証法についてわかりやすく解説

ではヘーゲルのオリジナリティってどこにあるのでしょう?
絶対精神が運動・発展する際の法則というものがあって
この法則を理論化したところにヘーゲルのオリジナリティがあります。
この法則のことを弁証法といいます。
絶対精神というのは弁証法という法則によって運動・発展していきます。
だからこの世界全体のあらゆることがらは弁証法という運動法則によって
全部成り立っているというようにヘーゲルは考えました。

つまりすべてのことを説明できるようなそういう法則が弁証法です。
弁証法とはどういう法則なのでしょう?
以下の図をご覧ください。

弁証法

ある次元(上記図では2次元)において正しいとされることには
必ずそれに反することがでてくるとヘーゲルは言います。
なので(正(せい)」と「反(はん)」という形で
二つの事柄が対立(矛盾)するわけです。

矛盾が生じると一つ上の次元に上がって(上記図では3次元)
それを調停しようとする働きが生じます。
これのことをアウフヘーベンといいます。
アウフヘーベンは日本語にすると止揚(しよう)といいます。

弁証法

とにかく2つ対立するものが1つ上の次元(3次元)に上がって調停されます。
2次元の2つの対立が調停された、そういう判断のことを『合(ごう)』といいます。
またこの合のところにおいても
これに対立する反対が出てきて、
『合』は『正』となり、
『正』と『反』という形になります(上記図の右上あたり)。

これもまた一つ上の次元に上がって調停され
また『合』になります。
こういうことがひたすら繰り返していくという形になります。
最終的にはヘーゲルに言わせると『絶対知(ぜったいち)』というところにたどり着きます。
この絶対精神の弁証法的な展開は絶対知というところに
ヘーゲルはたどりつくといいます。

そうすると私たちの絶対精神の運動というものは
すべて終わりになってそして歴史は終焉する(すべてのことが終わる)と考えました。
だから私たちの世界の歴史を含めて
この宇宙のすべてというものは絶対精神が絶対知にまでたどり着く、
そういう一つの大きな物語という形になっています。

それでヘーゲルの『正』『反』『合』ですが
もうちょっと簡単な例で見ていきましょう。
ある次元において正しいとされる判断に対して
それに反する判断が必ず出てくるということですが
たとえば物を2次元的にしか把握できない宇宙人がいたとしましょう。

つまり見たものが2次元的にしか捉えられないわけです。

弁証法

そういう宇宙人がいたとして
その宇宙人が『A』というものを見たとしましょう。
で、宇宙人は「Aは丸いね」と感じたとします。

そこに同じ宇宙人の違う人が表れたとしましょう。
その宇宙人は同じAを見て「Aは長方形だよ」と主張しました。

同じAが丸くて長方形ということは2次元世界だったらあり得ません。
丸い三角形があり得ないのと同じです。
だから丸くて長方形もあり得ないので対立します。

ですが一つ上の次元に上がって(3次元)、
このAを見ると「Aは円筒形だ」とわかりました。
こんな感じで2次元の時に対立した2つの判断を調停することができます。

弁証法


つまりどういうことか?というと三次元のAを見てください。
円筒形に見えますね。
で、二次元でAを丸だと主張した宇宙人は円筒形を真上から見ていて
もう1人の宇宙人は円筒形を真横から見ていて長方形だと考えたってことです。

何が言いたいか?というと
二次元だと真上から見て丸、真横から見て長方形といった感じで対立していましたが
一つ上の三次元に上がれば、単に円筒形だとわかり調停されます。

こんなふうな形で一般的に対立する判断というものがあった場合、
一つ上の次元でそれを総合、調停するという判断を作り出す。
こういうふうな働きのことを弁証法といいます。
対立するものを一つ上の次元から調停する、
こういう論法のことを弁証法といいます。

ヘーゲルはこの世界における神羅万象、あらゆるものは
弁証法のプロセスに従ってどんどんどんどん絶対知を目指して
動いていると考えました。

ヘーゲルの主著『精神現象学』

ヘーゲルの主著に『精神現象学』があります。
精神現象学 上 (ちくま学芸文庫 ヘー10-1) [ G.W.F.ヘーゲル ]
精神現象学 下 (ちくま学芸文庫 ヘー10-2) [ G.W.F.ヘーゲル ]

『精神現象学』という本の中でヘーゲルは
『即自(そくじ)』とか『対自(たいじ)』
という話をしています。

このことをヘーゲルは弁証法を使って解説しています。

弁証法

たとえば即自が『正』で対自が『反』だと思ってください。
そして一つ上の次元に上がって絶対知に至るみたいな話をヘーゲルは
『精神現象学』の中でしています。

ヘーゲル|システマティック、ダイナミック

ヘーゲルは西洋哲学の完成者といわれるわけですが・・・。
ヘーゲルの哲学はシステマティック(体系的)であると同時に
ダイナミックでもあるといわれます。

弁証法

システマティックとは上記図のような樹形図みたいな形になっていて
絶対知をトップとしてあらゆるもの(例えば丸とか長方形)は
上のもの(円筒形とか)に統合されているという形になっているということです。

ダイナミックとは一つ上の次元に上がって調停されるという『動き』のことです。

こんな感じでヘーゲルのシステムは
システマティックかつダイナミックという形になっています。
たとえばある哲学者が反対する意見を述べたとしても
反対意見は単に絶対知に至る大きな枠組みの中の一つのコマにすぎないと
ヘーゲルが考えます。

こんな感じでヘーゲルの弁証法に基づくような
絶対精神の絶対知にまで至る大きな物語の中に
すべての対立なんかが飲み込まれてしまうという形になります。

だからこういうヘーゲルのシステムから
どうやって抜け出して新しい哲学を展開していくか?
というのがヘーゲル以降の哲学者たちの問題となっていきます。

何を言っても全部ヘーゲルのシステムの中に
飲み込まれるみたいな形になっていますからね。

ヘーゲル|理性の狡智(こうち)

理性の狡智の理性とは
絶対精神のことです。
狡智はたくらみ。

なので理性の狡智とは『絶対精神のたくらみ』のことです。
どういうことか?というと絶対精神というのはわざと矛盾を起こすことによって
自分を一つ上の次元に上げさせようとします。
そういう絶対精神のたくらみのことを理性の狡智といいます。

だからわざと戦争を起こして
そこのことによって矛盾を生じさせて
一つ上の次元に自分を上げさせようとします。
ヘーゲルは歴史上の人間の活動というのは
背後で歴史を支配している絶対精神の操り人形みたいな形で
動いているに過ぎないといいます。

だから英雄とか民族なんかも
全部絶対精神の操り人形だということになります。

ヘーゲル|人倫(じんりん)

今度はヘーゲルの人間観、社会観というものを見ていく形になります。
ヘーゲルは人倫という言葉を使います。
人倫(じんりん)とは人間の共同体およびその秩序のことです。

人倫は

・家族
・国家
・市民社会

という形で弁証的に発達します。

最初の共同体(人倫)は家族。
やがて家族において矛盾が生じてきて
今度は市民社会が形成されます。

市民社会というのはヘーゲルに言わせると
『欲望の体系』というふうに言われます。
だからみんなが自分の私的な利益を追求しているっことです。

だから自分の権利などもすぐに奪われてします。
これでは困るので国家というものが形成されます。
国家において法や秩序、制度がつくられて
それによって私たちの権利が守られます。

家族、市民社会、国家ですが、

順番は

家族⇒市民社会⇒国家

です。

たまに公務員試験の過去問を見ていると聞かれているので
覚えておいた方が得策だと思います。
家族から市民社会、市民社会から国家の順番です。

国家が人倫の最高形態ということになります。
国家というものは家族と市民社会の矛盾を克服した人倫の完成段階です。
国家によって個人の自由と社会全体の自由が調和するという形になります。
だから国家の後に、弁証法的に克服されて
超国家が作られるみたいなことにはなりません

国家でおしまいです。

今回の記事は以上になります。