和辻哲郎は1889年生まれで1960年に亡くなっています。
以前、和辻哲郎の風土について解説しました。
⇒和辻哲郎和辻哲郎の風土についてわかりやすく解説
この記事のアクセス数がすごくよかったので
今回は和辻哲郎シリーズ第2弾ということで
『間柄的存在』についてわかりやすく解説していきたいと思います。
和辻哲郎の間柄的存在とは?
西洋においては『個人と社会』が対立するしかたで
捉えられていて、どっちが先か?
ということが問題になることが多いです。
個人的にはどっちが先でもいいと思うんですけどね。
どうして優劣(順位)を決めるんだろう?って思います。
ただ、最近のアメリカでは
優劣をつけたらいけないという思想が強いようです。
アメリカの学校の中には子供たちに試験を受けさせないというところがあるようです。
RTの最後の方に、運動会で順位付けない学校の話があって、勉強はずっと順位つけられ続けるのにってあるんだけど、この前、アメリカの学校が試験での入試は不平等だから抽選にしたって話読んだから、日本だって勉強の順位付けもなくす学校出てくる可能性ありそう
— じゅん@(蟻) (@off_sen) February 4, 2023
それはさすがに極端だと思いますが、
それにしても「個人と社会」でどっちが先か?みたいな議論って
どうでもいいように個人的には感じてしまいます。
話を元に戻します。
たとえば個人があって社会があるという考え方は『社会契約論』。
個人が集まってみんなで契約して社会ができるということです。
その一方で社会があってはじめて個人があるという考え方。
たとえばアリストテレスのポリス的動物です。
⇒アリストテレスの「人間はポリス的動物である」の本当の意味とは?
このような形でどっちが先か?
というのが西洋の哲学においては結構問題となっていました。
和辻哲郎さんはどんなふうに考えたか?というと
「個人と社会というのはお互いがお互いを前提としあっているものであって
どっちが先というわけじゃないんだと主張しました。」
まさに私の考え方と似ています。よかったです。
和辻哲郎さんは以下のような名言を残しています。
『個人の中に社会があるとともに、
社会の中に個人がある。』です。
これはお互いがお互いを前提とするという意味が含まれています。
西洋における『man』は東洋だと『人間』となります。
人間という漢字は人と人との間という意味ですよね。
なので、個人の中に社会が入っていると和辻哲郎は考えました。
こういう人間の捉え方のことを和辻哲郎は『間柄的存在』とよんでいました。
人間というものを間柄的存在ととらえて
和辻哲郎は『人間の学としての倫理学』という本を書いています。
人と人との間、人と人とのつながりを重視する、
そういう間柄的存在としての人間という観点から倫理学を作った。
そんなことが『人間の学としての倫理学』に書かれています。
⇒人間の学としての倫理学 (岩波文庫 青144-13) [ 和辻 哲郎 ]
正月と云えば、
和辻哲郎の
人間の学としての倫理学
て始める慣わし。 pic.twitter.com/lTgcCgJtgK— #lemontanalogue (@keijisugimoto) January 1, 2023
今回の記事は以上になります。
続いてこちらをご覧ください。
⇒和辻哲郎の風土についてわかりやすく解説