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一般知識

政治的無関心についてわかりやすく解説

政治的無関心についてわかりやすく解説




この記事では政治的無関心についてわかりやすく解説していきます。

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政治的無関心

政治的無関心とは政治全般について積極的な反応や消極的な反応の
どちらも示さないことです。

政治的無関心になる原因

まず政治的無関心になる原因として
知っておいてほしいのはマスメディアによる情報過多です。
あまりにも情報が多すぎてしまって
政治に対して関心を持てなくなるということです。

ハンチントン

政治的無関心が多いのは悪いという意見があります。

ですが、ハンチントンはそんなことはないと主張します。
政府の統治能力の低下というのは
どうして起きてくるか?というと過剰な政治参加がもたらすと主張しました。

つまり過剰な政治参加があると政府の統治能力が低下するということです。
政府が国をまとめていく力が弱まってしまう。
むしろある程度無関心な人がいて政治から
離れていてくれた方がうまくまとまるんじゃないか?という議論です。
その方が平和なんじゃないかということです。

だからハンチントンは政治的無関心層が必要だと主張しました。

だから日本の政治家は「有権者が寝ててくれればいい」って言ってみたり
わざと夏休みの真ん中に選挙をしたり。
みんながどっかに遊びに行っている間に選挙をしてしまいたいと考えるわけです。

だからみんなが参加するということが
実は民主主義の危機になるのではないか?ってハンチントンは考えたわけですね。

ハンチントンはどういう議論をしたか?
というと大学の学長を決めるときに教授会で決めるのではなく
すべての学生にも選挙権を与えたらどうか?という議論を例に挙げています。

大学の学長を決めるのに
会ったこともない大学生全般が投票権を持つなんておかしいという話を
例として挙げています。

ラズウェルによる分類

3つあります。

3つとは

・脱政治的態度
・反政治的態度
・無政治的態度

のことです。

脱政治的態度というのは一度は参加したけど
期待を裏切られたから、もうやめたみたいな人の事です。
具体例は日本の無党派層と呼ばれる人たちがが該当します。

政界再編55年体制が終わり
その後、無党派層が増えてきています。

そのあと出てくるのが反政治的態度です。
反政治的態度で重要なキーワードがアナーキスト(無政府主義者)です。
無政府主義者って何か?というと政治とか政府があることによって
人々の関係が悪くなっていると捉える人々の事です。
あるいは自分の世界観と相いれない政治的な価値そのものを否定してしまって
政治に参加しない人たちのことです。

反政治的態度というのは政治そのものに反対していることです。
政治という活動そのものに反対しています。
だから反政治的態度です。
具体例はアナーキストになります。

最後、無政治的態度。
政治そのものを無視してしまうことです。
政治以外のもの、芸術とか宗教とかスポーツに興味関心を持って
政治そのものに対して興味を持たない、
無視してしまうことを無政治的態度といいます。
無政治的態度の具体例は芸術家です。

なので無政治的態度は政治を無視したり、
反政治的態度は政治に反対したりするわけです。

逆に脱政治的態度は『脱』がついているように
一度漬からないと抜け出ることができないから
一度は政治に参加しているということになります。

リースマン

リースマンは政治的無関心を

・伝統型無関心
・現代型無関心

に分けました。

伝統型無関心と現代型無関心は選挙制度で分けて考えると理解しやすいです。

伝統的無関心

制限選挙のもとの有権者でない一般の人たちは
選挙に関わることができません。
そもそもこの人たちは政治というのは
お上の仕事であって自分たちの仕事ではないと考えます。
要するに他人事なのです。

だから政治に対して関心を持ちません。

現代型無関心

現代型無関心は普通選挙制度のもとでの話です。
普通選挙制度であればだれでも日本だと18歳以上であれば有権者です。
あるいは義務教育で政治制度や憲法の勉強をしているわけですが
そういうものを勉強しながらも政治に対してかかわりを持たないということです。
これが現代型無関心です。

有権者なのに、義務教育で政治や憲法の勉強をしているのに
政治に対してかかわりを持たないのが現代型無関心になります。

統計的にはこの記事を読んでいる方の半分は
選挙に行ってないはずです。
ちなみに他から引っ越してきたけど住民票を移してない人もいるかもしれません。
住民票を移してない方は選挙権は今住んでいる地域ではありませんから
わざわざ選挙するために地元に帰らないといけません。

そうなったらなおさら選挙に行かないでしょう。
こういうのが現代型の政治的無関心ということです。

伝統的無関心と現代型無関心について考える

どういう状況が起きているかというと
制限選挙制下では有権者が50人いたとしましょう。
そうすると自分の票は50分の1の価値があります。
でも普通選挙制度になって有権者が増えて
仮に100人になったとしましょう。

するとあなたの1票は50分の1の価値から100分の1の価値に下がるということです。
影響力が低下したということです。
普通選挙制が実現されればされるほど1票そのものの力が弱まるわけです。

昔に比べて自分の票の価値が半分くらいしかないとしましょう。
となったら選挙に行く気は昔より高まるでしょうか?
そんなことはないですよね。
昔以上に選挙に行く気がなくなりますね。
「たかだか1票入れたってしょうがない」ってなりますから。

となると現代型の政治的無関心というのは
政治的有効感が低いということになります。
自分がやっても無駄じゃないかという意味です。

別の言い方をすると『政治的疎外感が強い』ということもできます。
だから「1票を入れたところで」という話につながっていきます。

そういう状況に今あるということです。

以上で政治的無関心に関しての解説を終わります。