今回の記事では社会学ゴフマンが主張した
ドラマツルギーと儀礼的無関心について例を挙げてわかりやすく解説します。
社会学者ゴフマンのドラマツルギーの具体例
私たちの日常生活における演技の諸相を分析したものをドラマツルギーといいます。
諸相とはいろんな姿とか様子のことです。
あとで具体例で出てくるのですが、
地下鉄で隣に座っている金持ち女性が「プー」ってオナラをして
臭いにおいがしてくる状況は諸相に該当します。
つまり、ドラマツルギーとは何か?わかりやすくいうと
私たちの日常生活の中でいろんな演技をしていて
そんな姿とか様子を分析したもののことです。
社会学者のゴフマンさんは『行為と演技 日常生活における自己呈示』という書籍の中で
私たちの日常生活のいろんな場面における演技の諸相を描いています。
⇒行為と演技 日常生活における自己呈示 (ゴッフマンの社会学) [ アーヴィング・ゴフマン ]
つまり、ゴフマンさんは『行為と演技 日常生活における自己呈示』という書籍の中で
ドラマツルギーについて解説しているってことです。
なのでこの記事を最後まで読んだ後、
「もっとドラマツルギーについて勉強したい」
と思ったなら、『行為と演技 日常生活における自己呈示』という書籍を買って読むことをおすすめします。
⇒行為と演技 日常生活における自己呈示 (ゴッフマンの社会学) [ アーヴィング・ゴフマン ]
ではドラマツルギーというのはどういうことでしょう?
私たちは日常的な生活の中で他人の視線(目線)を意識しながら演技していませんか?
みんな他人の前で自分が何らかの形で演技をしていると思います。
この記事を書いている私は飼い主さんの前でよく演技しますね(苦笑)。
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「よくわからないよ」
と思った方が大半かもしれませんね。
たとえば、獣医師というのは役者じゃないといけないところがあります。
ペットが亡くなって泣いている飼い主さんが目の前にしたとしましょう。
自分はさっきまでスタッフとゲラゲラ笑いながら会話していたとしても
飼い主さんの涙を見たら、こちらも悲しい声でしゃべらないといけないでしょう。
ニュースで愛犬の癌に対して飼い主さんと一緒に今後どうするかを決めているとき、獣医師さんが飼い主さんと一緒に涙を流しているのをみた。獣医師さんのことはわからないけど、私なら一緒に泣いてくれた先生のこと信頼してお任せできるなって思うな。私の愛犬も家族だった。
あー、思い出して泣く🥲— レモン大福 (@happy_miisan) June 14, 2021
他にも例を挙げるとすると
たとえば進学塾の講師というのは役者じゃないといけないところがあります。
大学入試などで出題される問題を的中させるという意味では易者(えきしゃ)にもならないといけません。
昔、マジックにのめり込んでいる
私を母がある易者さんのところに
連れて行きました。易者さんは衣食住に関係する仕事につきなさいと私に言いました
でも人は衣食住ではないものが必要です
法を作る政治家守る裁判官や弁護士さんや検事さんも人の生活の中で秩序を守るために必要な方々です
— 小林恵子 (@hine527) March 20, 2020
ということは例えば教育的な効果を考えた時に
演じる部分というのは必要になってくるかもしれません。
だから他者の目線というのを意識しながら演技をするというのは
進学塾の塾講師だと良くあることだと思います。
当ブログ管理人の私も獣医大学の学生だった頃
家庭教師をしていましたからわかります。
普段の中間試験の問題を的中させたら親も生徒もすごく喜んでくれるんですよ。
だから当時、すごく頑張って的中させてましたね。
プロ家庭教師なので教え子の定期テストに出る問題を的中させてしまった
— おかちゃん (@okachan6666) September 26, 2018
こんな感じで自分が見られているということを意識して演じることってあると思うんですよ。
以上が前提です。
そしてあなたが演じる側だったら、その演技を見せたい人は観客になりますね。
観客になっている人だって演技をする場合だってあるでしょう。
みんな演技をすることがあるって言っているわけですからね。
観客が演技者になったらそれを見ているあなたは観客になりますよね。
だから私たちの日常生活の中では常に誰かから
自分は見られているということを前提にしながら演技したり
あるいは観客になったり共演者がいたり、
まるでドラマを見ているようなことが私たちの日常生活そのものですよということです。
そういう演技の諸相として
日常的な生活をドラマのように考えていこうというのがゴフマン(ゴッフマン)であり、
以上がドラマツルギーの具体例でした。
ゴフマンが主張した儀礼的無関心の具体例
では市民生活を維持していくためにはどうすればよいでしょう?
例を挙げるとすると
あなたは地下鉄を利用することがありますか?
都会に住んでいたら地下鉄を利用することもあるでしょう。
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地下鉄に乗っていたとしましょう。
隣の座席にカシミアのコートを着たお金持ち女性が座ってきたとします。
今季買ったアウター🐑
CITYSHOPのOUT-SEAM PIPING COAT。こちらは試着した瞬間にハートを射抜かれ即決。ネイビーもめちゃくちゃかわいくて色かなり迷った…
SNIDELのうろこカシミアコートはFRAY I.Dにも似たようなのがあって迷ったけど丈長めのが欲しかったのでこちらに決定。どちらも最高に可愛い… pic.twitter.com/YnqibrpMl4— るるちゃん (@skstibnni) October 28, 2020
その金持ち女性がオナラを「プー」としたとしましょう。
あなたはオナラの音をしっかり聞いたとしましょう。
でも、オナラの音を聞いてあなたがもしゲラゲラ笑ってしまったら
その金持ち女性はオナラの音を聞かれてしまって恥ずかしい思いをしてしまうでしょう。
人の前で恥をかかされるのは女性なら誰だって嫌な事でしょう。
別に女性に限った話ではないですけどね。
満員電車内で綺麗な女性がオナラをしたとしても100%疑われるのは清潔感のないオジサンだ。
#あるある pic.twitter.com/IalONCt6oB
— 大場唯 (@yuiohba) May 31, 2017
あなたはしっかりとオナラの音を聞いていたわけですが、
聞こえないフリをするかもしれませんね。
聞こえないフリをすることによってその金持ち女性の上品そうなイメージを
守るということをしたことになるでしょう。
そのことをゴフマンは儀礼的無関心という言葉で表現しました。
聞こえないことを装っているわけです。
本当は女性がオナラをした音が聞こえているのに、
聞こえないように装ったわけです。
こんな感じで何かを演じている人の演技した姿の像を維持してあげるために
配慮するということが私たちの日常生活の中でよくあります。
つまり儀礼的無関心とは演技している人のセルフイメージをキープしてあげようとして
観客(オナラの音を聞いたあなた)が事件(オナラの音)に無関心を装うことのことです。
そういうような過程を分析したのがゴフマンです。
儀礼的無関心があることによって私たちの市民生活が成り立っていることは多いです。
ポイントは他者に対する配慮になります。
わざとオナラが聞こえないフリをしたり、
わざと見えないフリをするということです。
以上で解説を終わります。