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一般知識

ルースベネディクト『菊と刀』の恥の文化と罪の文化についてわかりやすく解説

ルース ベネディクト 菊と刀




以前の記事で罪の文化と恥の文化について解説したことがあります。

罪の文化、恥の文化というのは
ルースベネディクトの著書『菊と刀』からきています。
ルースベネディクト『菊と刀』

今回の記事ではルースベネディクト『菊と刀』の
恥の文化と罪の文化について以前の記事よりも
さらに詳しく解説します。

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ルースベネディクト『菊と刀』の恥の文化と罪の文化について

ルースベネディクトは『菊と刀』という本を書いています。
ルースベネディクト『菊と刀』
この『菊と刀』という本は日本の文化の特徴を分析した本です。

菊というのはある家の家紋ですよね。
菊の紋章をいただいている家は何家でしょう?
天皇家ですよね。

これに対して刀は武士階級の魂ですよね。

だから

日本の社会の文化を分析するのには

・天皇制
・武士階級の倫理観

というのがキーワードになっていると
ルースベネディクトは考えています。

たとえば日本史の教科書に
「武士は食わねど高楊枝」みたいなフレーズが掲載されているのを
見たことがありませんか?

武士はお腹を空かせているのに
「俺はお腹なんかすいてないよ」と
お腹がグーグー鳴りながらもやせ我慢して高楊枝を噛んでいるって話ですよね。

武士にとって一番つらいことは
人前で恥をかかされることです。
そんなこともあって武士階級には特権が与えられています。
人の前で無礼を働かされた場合には切り捨てごめんという特権です。

つまり武士にとってはプライドを維持するということが
もっとも大事な事だった
のです。

だから恥をかかされるということが
武士にとってはとても嫌いなことだったのです。
そういう外面的な制裁
たとえば人の前で笑われるとか。
人前で笑われたらとてもつらいですよね。

そういった外面的な制裁によって人々の行動が方向付けられるわけです。
たとえば笑われないようになるにはどうしたらよいか?とか
人の前で恥をかかないためにはどうしたらよいか?
そういうことが日本人の行動を方向付ける要素になっているということです。
そしてこういうことをベネディクトは『菊と刀』の中で
日本文化の特徴を恥の文化だと主張しているわけですね。

これに対して西洋キリスト教の文化の事を『罪の文化』といいます。
内面的な良心によって人々の行動が方向付けられるというのが罪の文化です。

心の中には良いこと悪いことを判断する良心があります。

その良心を神という言葉に置き換えると
「神はすべてお見通しである」という感じになるでしょう。
良心=善悪を判断する。
これが神になるわけですからね。

この神を基準にして自分の行動を決めていくというのが西洋の文化です。

神に対して罪を犯さないということが行動の基準になっているわけです。

日本の場合は
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのがありますよね。
赤信号であってもみんながわたっているから
自分もその流れに一緒になって渡っても大丈夫みたいな思想です。
悪いことをやっている中も一員であるなら
誰も自分のことを仲間は非難してこないから
やってもいいということになりやすいです。
他人にバレないなら、あるいは他人も悪いことやっているなら
それでいいというのが恥の文化です。

これに対して自分は交通法規によって
赤信号を渡ってはいけないということを知っているとしましょう。
こういう交通法規を知っている自分は
それを知りつつ赤信号を渡るわけにはいかない。
法を犯すわけにはいかない。
法を犯してた自分を知っているもう1人の自分がもう1人いる、それが神様(良心)です。
その良心を基準にした場合、
交通法規を犯すことは許されない。
そういうことを基準にして自分が赤信号を他の人がわたっていても
それに同調するわけにはいかない。
自分は良心の命ずるままに100人が行っても自分は行かない
という形で自分自身の内面的な良心を基準にして自分の行動を決めるのが西洋の文化で罪の文化です。

この2種類に分けたのがルースベネディクトでした。
以上で解説を終わります。