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一般知識

マンハイムの知識社会学についてわかりやすく解説

マンハイム 社会学




前回の記事では知識社会学について解説しました。

今回の記事では知識社会学で有名なマンハイムさんについて解説します。

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【社会学】マンハイムの重要ポイント(1)時代診断学

マンハイムはいろんな本を書いています。
その中でも社会学的に大事なのは以下の2つです。

まず現代の診断の方の内容ですが、
この記事を書いているのは令和4年です。
世界的に流行しているウイルス病がありますね。

私は獣医師なので、猫にも感染するといったことに
興味関心を持っています。
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とにかく、令和4年現在、咳や発熱を主症状としたウイルス病が
世界的に大流行しています。
この記事を読んでいる方の中にはウイルスに感染して
寒気がしたり喉が痛くなったり熱が出ている方もいるかもしれません。
もしそうなったらお医者さんに診てもらいますよね。
喉が痛くなったり熱が出ている原因をお医者さんに調べてもらうはずです。

つまり、お医者さんがあなたの病気を診断しますよね。

その結果、インフルエンザにかかっているとか
風邪にかかっているとか、他のウイルス感染症にかかっていると
わかるわけです。
そしてその病気の原因が明らかになったら、
治療をしないといけませんね。

たとえば、飲み薬を処方したり注射をしたりして
どうすればその病気が回復できるのかをお医者さんは
医学的知識や経験をもとに考えます。

そしてあなたの病気を治してくれるわけですね。

それと同じようなお医者さんと同じような役割を果たすのが
学問の中でいうと社会学が該当するとマンハイムさんが書いた著書『現代の診断』では主張されています。

今の時代のいろんな問題点、社会的な問題や行政的な課題、
そういうものを社会学という学問が診断するわけです。

ではあなたは今の日本の社会の中で
どういうことが病理的な出来事だと思いますか?
たとえば少子高齢化。これは問題すべきことでしょう。
子供が生まれる数が異常に少ないですね。
1人の女性が一生に産む子供の数の平均を合計特殊出生率といいます。
合計特殊出生率は現在いくらかご存じでしょうか?
2021年のデータでは日本の合計特殊出生率は1.30です。
ちなみに2019年は1.36でした。

人口を維持するために1.30で足りると思いますか?
足りませんね。
人口を維持するためには2.08が必要だといわれています。
当然ですよね。
だって2.0ちょうどなら、成人する前に病気や事故で亡くなる人がいますから。
だから2.08くらいないと人口を維持できないわけですよ。

なのに、1.30しかないということは日本の人口は減少に向かっているということです。

2005年をピークにして日本の総人口は減少に向かっています。

その一方で高齢者の割合はどんどん増えています。
65歳以上の高齢者はどれくらいの割合いると思いますか?
約29%です。4人に1人以上は高齢者だということです。

子供の数は少ない。高齢者はどんどん増えていっています。
高齢者を支えるのは現役の労働者です。
生産人口の担い手である子供の数が少なくなっているのに
高齢者の数がどんどん増えています。
ということは働く世代の人々の負担がずっしりと重くなっていっているわけです。

そういった現代社会のいろんな状況というのを診断して
どんな問題があるのか、そして10年後、20年後の
日本の社会はどうなるのか?そういうことを予測する事がある程度できますね。

最悪の結果が予測できるなら放置はいけませんよね。
苦しむのはあなたということもありますし。

放っておいたら病状がどんどん悪化して手遅れになってしまうかもしれません。
だから今のうちに悪い現状を改善するためのいろんな政策を打ち立てて
実行していかないといけません。
だから今の時代を診断して、その中のいろんな病理現象を明らかにして
それに対する対策を立てていく役割を社会学は求められているということです。

そういう内容をマンハイム『現代の診断』では書かれています。
あくまで軽く触れているだけで、中身はもっと深いのでぜひご覧ください。

ここまでの内容を簡単にまとめると
マンハイムは『社会学が現代学としての時代診断学であるべきじゃないか』と主張したのです。
これを『時代診断学』といったりします。

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【社会学】マンハイムの重要ポイント(2)存在被拘束性

2つ目のポイントは『存在被拘束性』です。
人間の知識や意識というのはその担い手が置かれている条件に縛られてしまいます。
そのことを(知識の)存在被拘束性といいます。

この存在被拘束性は前回の記事で解説した知識社会学の例が該当します。

マルクスとエンゲルスがドイツイデオロギーの中で
意識が存在を規定するのではなくて存在が意識を規定するということです。
(これは前回の記事で解説しています)

このことを基本的にマンハイムは「すごくいい考え方だな」と思い
すごく評価しています。
でも、マルクスとエンゲルスがそんな立派な命題を言っているわけですが、
自分たちが労働者階級が持っている社会主義はイデオロギーではないと主張するのは
変な感じだとマンハイムはいいました。

自分たちと敵対する資本家階級が持つのがイデオロギーであって虚偽意識だと批判するのに
労働者階級が持っている社会主義はイデオロギーではなくて科学的な真理だというのは
自己矛盾に陥っているとマンハイムは主張しました。

資本家階級が持っているのがイデオロギーなら
労働者階級が持っているものだって同じようにイデオロギーであるはず。
なのに自分たちがその批判の対象から逃げているのはおかしいとマンハイムはいいました。

存在被拘束性という考え方はどのような階級、立場の人であっても
同様にあてはまるものだとマンハイムは言っています。
だから自分がその社会の中でどのような立場に身を置くかによって
その人の物の見方や考え方がいろんな意味での制約を受ける、
それは例外なしに認められることだといいました。
資本家階級だけでなく労働者階級だって同じようにその立場から
自分たちの考えが拘束されているし、
資本階級だってその立場から
その人たちの考えが拘束されます

だから自分が相手に言った批判は
自分の主義主張にも拘束されてしまうんだよってことですよ。
たとえば、仕事をサボってパチンコをしている人に
「仕事をサボっている人間は碌な奴じゃない」って言ったとしましょう。

そして自分は勉強せずにサボっていたため留年したのに
「いやー、お腹が痛くて」みたいな言い訳は通じないよってことですよ。
相手にサボっている奴は碌な奴じゃないって言ったなら
言った本人がサボっているなら、言った本人も碌な奴じゃないってことになりますよね。
これが存在被拘束性です。

人間の知識や意識はその担い手の置かれている条件や、
置かれている立場によって制約されて影響を受ける、
これを『存在被拘束性』といいます。

こういう形でマルクスをマンハイムは批判しました。

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【社会学】マンハイムの重要ポイント(3)大衆社会

大衆社会というのはいろんな意味で危機的な状況にあるとマンハイムは考えます。
大衆というのは非合理的で感情に流されやすいという話は別の記事で解説しています。
その大衆が民主主義社会を支えている時代というのはいろんな意味で危険な兆候にあるわけです。

だから大衆に対してあまり期待をかけていないわけです。
そのような大衆社会を救うためには自由のための計画化が必要で
それを成し遂げることができるのは知識人だということです。
そういうことをマンハイムを主張しています。

ではどうして知識人は期待に応えることができるのでしょう?
前回の解説で資本主義社会で資本家階級の立場に立つと
彼らの物の見方、考え方というのが資本主義社会を維持するような考え方が導き出されます。
労働者階級の立場に立つと、それを否定して乗り越えるような考え方を
必然的に持つわけです。

どのような人々も自分の立場から拘束を受けてしまいます。
これを存在被拘束性というわけです。

ですが、知識人というのはどのような階級の立場にも立ちません。
ある意味冷静に俯瞰した目線で(空から全体を見渡すような目線で)
物事を判断します。

知識人は自分の立場を否定されたら感情的にギャーギャー騒ぐような
大衆とは違うわけです。
だから知識人は自分の立場に拘束されず自由に物事を考えることができます。
知識人というのは自分の立場を離れて
自分とは敵対する相手の立場だったらどういうふうに考えることができるのか、
ということを自由に階級の垣根を超えて相対的にいろんなことを考察することができます。

たとえば、資本主義社会の中だったら
資本家階級の立場に立つと、資本家階級の考え方を肯定的に見ることができますし
労働者階級の立場に立つと資本家階級の考え方を否定的に見ることだってできます。

そんな感じで、その立場になったらどのような考え方になるのか?
自分の立場とか階級という垣根を超えて自由に行き来ができるのが知識人です。

ある知識人は高校の先生だったとします。
高校生の男女が恋愛をしていた時に
その男女の気持ちになって物事を考えることができますし
男女の親の気持ちになって考えることもできますし
校長先生の立場になって物事を考えることもできます。

いろんな立場になって物事を考えることができる方が
よりミスが少ない判断ができるでしょう。

だから知識人こそ自分の立場からいろんな制約を受けないで
自由に考察することができます。
だから知識人に期待をかけているわけです。
ちなみに知識人をインテリゲンチャということもあります。

以前、マックスウェーバーの価値自由について解説したことがあります。

自分の物の見方、考え方が唯一絶対だと思うと
そういう考え方から自由になれません。
自分とは違った物の見方、考え方になたったら
別の見方や考え方があるということがわかるようになります。
それも知識人(インテリゲンチャ)です。

自分自身の考え方にこだわらず
自分と敵対する相手の立場に立ったらどのようなことが言えるのか?
といった感じで、相手の立場にも立てるというのがインテリ(知識人)だということです。

だから知識人こそが今の時代の困難を乗り越えることができるとマンハイムは考えました。
だからマンハイムは知識人に期待をかけています。

以上で解説を終わります。