この記事では罪の文化・恥の文化とはどういう文化なのでしょうか?わかりやすく解説します。
ただ、いきなり罪の文化と恥の文化を説明してもピンとこないと思いますので、
まず罪の文化、恥の文化について研究したルース・ベネディクトさんについて説明します。
罪の文化・恥の文化を研究した文化人類学者ルース・ベネディクト
ルース・ベネディクトさんは女性で文化人類学者です。
彼女は日本を研究して『菊と刀』という本を書きました。
⇒菊と刀 (光文社古典新訳文庫) [ ルース・フルトン・ベネディクト ]
ところで文化人類学って以前解説しましたが
今は違いますが、少し昔までは未開社会の研究でした。
詳しくはここで解説しています。
⇒機能主義とは?わかりやすく解説
アジアとかアフリカには原始的な未開の生活をしている人たちがいます。
未開社会の言葉とか生活習慣を研究するのが文化人類学でした。
文化人類学というのはイギリスやフランスですごく発達しました。
どうしてイギリスやフランスで発達したと思いますか?
イギリスやフランスは植民地をたくさん持っていたからです。
アフリカやアジアを植民地にしたといっても現地の人の言葉や生活習慣が理解できなければ
うまく植民地としてやっていけません。
だから文化人類学の学者たちは本人たちは学問的な関心で
真面目に研究しているのかもしれません。
でも、結果的には植民地をうまく継続するための手先として機能してきたという部分もあります。
ルース・ベネディクトさんも同じです。
ルース・ベネディクトさんの日本研究というのは
日本をどう占領するのか、という対策の一環だったんです。
日本とアメリカは第2次世界大戦で戦争していました。
アメリカは日本に勝つのは当たり前だと思っていました。
重要なのは日本に勝った後、どううまく日本を占領するか?でした。
そこで第2次世界大戦中、徹底的に日本を研究しました。
その一環です。
ただ異例なのは普通文化人類学というのは現地に行って
一緒に暮らしながら相手のことを研究するというのが
この時代の文化人類学です。
ですがベネディクトさんは日本に来ていません。
なぜなら日本と戦争中だったからです。
戦争中に戦争相手の人が来たら、
襲われても仕方ありませんからね。
ただアメリカにはたくさんの日本を研究する文献があったので
そういうのはいろいろ参考にしながら日本人というどういう人たちなのか
文化を示したわけです。
さてルース・ベネディクトさんの書籍『菊と刀』には
『罪の文化』と『恥の文化』という対比がでてきます。
罪の文化・恥の文化とは?
まず罪の文化とは心の中に道徳意識があるという前提に立ちます。
心の中の道徳意識、内面的な罪の自覚に基づいて善悪を判断するというのが罪の文化です。
これに対して恥の文化というのは
内面的な罪の感覚ではなくて、とにかく恥をかきたくないから
周りからの外面的な強制力に基づいて善悪を判断する文化のことをいいます。
これで欧米社会が罪の文化で日本社会は恥の文化だと
ルース・ベネディクトさんは主張しました。
ただ、おかしいなと感じるのは
以前解説しましたように人間は成長の過程で心の中に道徳意識が刻み込まれていくと解説しました。
パーソンズのパーソナリティシステムとかフロイトの超自我とか。
⇒パーソンズのパーソナリティシステムについて
⇒フロイトのイド・自我・超自我についてわかりやすく解説
でもルース・ベネディクトさんはこういうのは欧米の話であって
日本の話ではないと主張しました。
つまり、ベネディクトから言わせると心の中の内面的な道徳意識に基づいて
善悪を判断しているのは欧米の話であって日本人にはそんなことはないということです。
たとえば旅の恥はかき捨てという言葉がありますね。
身近な人たちが見ているところでは悪いことはできないけど、
旅先だったら知り合いがいないから悪いことをやってもいいということです。
これはどこにでも通用するような普遍的な道徳意識ではなく
みんなが見ているかどうかによって善悪を判断すると説明します。
以上、罪の文化と恥の文化についての解説を終わります。