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一般知識

フロイトのイド・自我・超自我についてわかりやすく解説

フロイト




今回の記事は精神分析のところでもフロイトについて解説します。

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フロイトの無意識の発見とは?

フロイトという人は精神分析学の創始者になります。
精神分析学といわれれば、当然、無意識の発見ということになります。
無意識の発見は非常に大きなインパクトを与えました。

どういうことか?というと
西洋における伝統的な人間観というものは一般的に
デカルトに由来するようなものなのですが、
自分の事は何でも自分ではわかっている。
そして自分の行動を自分で律することができるんだ。
というのが西洋における中心的な人間観になっています。

ですが、こういう西洋における中心的な人間観を覆したのが
フロイトの無意識の発見ということになります。
私たちは自分ではわからないような
無意識の衝動によって突き動かされているんだということです。
「なんでも自分のことは自分でわかっている
だから全部自分の欲望などを律することができる」
そういった考え方は間違いなんだとフロイトは主張しました。

そこでフロイトのこういう考え方は
単に医学というだけではなくて
宗教とか芸術とか哲学などにも大きく影響を与えました。

フロイトは前期と後期で説明が変わってきます。

前期のフロイトは

・意識
・前意識
・無意識

という説明をしました。

意識とは人々が普通に意識している部分。
前意識とは意識化しようと思えばできなくはないけど、
通常は意識化されていない部分。

無意識とはずっと意識化することができない部分のことです。

ですが、後期のフロイトになると
別の説明の仕方をしています。

それが

フロイトは人間のパーソナリティというものを

・エス(イド)
・超自我
・自我

と3つに分けて説明しました。

どういう関係になっているか?
ということを以下わかりやすく解説していきますね。

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フロイトのイド・自我・超自我とは?

無意識の衝動を表す図


上の図をご覧ください。
人間の意識している領域が心の中にあったとしましょう。
その背後に膨大な無意識の領域がある。
そして私たちは常に無意識の衝動にさらされていると考えます。
このことをエスとかイドといっています。

無意識の本能的な衝動のことをエスとかイドといいます。

エスはドイツ語でイドはラテン語でなのですが、
英語だと『it』に該当します。
『she(彼女)』でもなく『he(彼)』でもなく『it(それ)』です。

無意識の衝動なので私たちはそれに名前をつけることができません。
だから『それ』としか言いようがないわけです。
ということで無意識の衝動のことを『エス』とか『イド』といっています。

フロイトは無意識の欲動(イド)を性欲で説明しようとしました。
でも当時の人々からは嫌がられました。

ただ一応簡単に言っておきますと、
イドとは『それ』としか言いようがないような無意識の欲動が
心の奥底にあるという意味です。

フロイトによると人間は生まれた時には『イド』しかないといいました。
たとえば赤ちゃん。
ウンチ漏らしておむつが生暖かくなったら、
ギャンギャン泣いてお母さんに訴えかけます。

お腹が空いてもギャンギャン泣いて母乳を要求します。
で、赤ちゃんも小学生になってくると、
少しずつ社会のルールがわかってきます。

超自我とは自我を超えているわけです。
心の中に刻み込まれた道徳意識です。

自我を上から目線で「そんなことやっちゃだめだよ!」みたいな感じで
指摘したり指示したりするイメージで
心の中に形成された道徳意識の束が超自我です。

別の言い方をしましょう。

超自我

私たちの無意識の衝動ですが
典型的なものとしてフロイトは性衝動を考えています。
性衝動に完全に支配されて行動したら
社会生活を営めなくなってしまいます。
だから性衝動を抑圧しようとする働きが生じます。
この抑圧しようとする働きが超自我になります。

これは前回解説した客我と似たような意味になります。
社会学者ミードが主張した客我とは?

あるいは他の記事で解説したパーソンズのパーソナリティシステムでもあります。
パーソンズのパーソナリティシステムの詳細はこちら

人間というのは成長する過程で心の中にやっちゃいけないことなど
いろんなルールが刻み込まれていきます。

たとえば他人の物を盗んだらいけないとか
他人の悪口を言ったら嫌われるとか。

他にも老人を敬う心なんかもそうでしょう。

でも、超自我とイドは矛盾するわけです。
イドは好き放題やりたいわけですが、
超自我は超真面目な奴でルールを守ることが生きがいです。

これって自分の心にある天使と悪魔の関係と似ていますね。
あなたは行政書士受験生だとしましょう。
でもあなたは働いています。

で、一週間後に行政書士試験ですが、
今日は会社の飲み会があって、「お前も飲みに行くぞ」
と上司から誘われています。

あなたはお酒が大好きだとしましょう。
飲みに行きたいです。
悪魔のあなたは「飲みに行こうぜ!試験なんて大丈夫だよ。
1日くらいいいじゃないか」と語りかけてきます。

逆に天使の心は「1日サボると、他の受験生に差をつけられて
試験に落ちちゃうよ」って言ってきます。

もちろん天使の心が超自我で悪魔の心がイドになります。
誰だって欲望に従いたい自分もいれば、
ルールを守らないといけないという自分もいるでしょう。

でもこれって同時には成立しませんね。
矛盾しています。

このような矛盾の中で調整役として働いているのが自我です。

わかりにくかったかもしれないので
別の言い方をしますね。超自我とはどういうものか?というと
簡単にいうと『道徳意識』です。

超自我=道徳意識

こういう道徳意識をフロイトは
家族とか社会の中で形成されると主張しています。
つまり家族の中で「ふしだらだからやっちゃいけない」
「社会の中でそういうことはモラルに反する」みたいな感じでいわれて
そういう形で私たちは道徳意識を内面化して
これが検閲みたいに働いてエスとかイドを抑圧するという形になっているとフロイトは考えました。

調整役が自我

こういうエスとかイドの調整役を果たしているのが『自我』ということになります。
自我というものはエスとイドと超自我の調整役を果たしていると考えます。

だから調整がうまくいかなくなってしまう、
つまり過剰にエス(イド)が強くなってしまって
まったく抑えが効かない、
もしくは過剰に超自我がエス(イド)を抑圧してしまう。
そうするとバランスがおかしくなって自我が崩壊して
精神病が発動するとフロイトは考えました。

こうやってフロイトは私たちの精神病の発病のメカニズムを
エス(イド)、超自我、自我という形で
説明するという方法を示しました。

そしてもうちょっと踏み込んだ内容を説明しますね。

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フロイトのエディクスコンプレックスとは?

エディクス・コンプレックスが超自我を形成する端緒なんだという形で
フロイトは主張しました。

エディクス・コンプレックスとは何か?
というと『父親殺しの欲望』という意味です。

エディクスというのはギリシャ神話のオイディプス王からきています。


オイディプス王は自分の父親だと知らずに
父親を殺して母親と結婚します。

そのあとそのことに気がついて
自分の運命を呪って自分の目を潰して荒野をさすらう。
そういうギリシャ悲劇があって
「父親殺しの欲望」をエディクスコンプレックスとフロイトは言っています。

子供は誰もが父親を殺して
母親の愛を独占したいと思うんだとフロイトはいいます。
ですが、父親を殺してしまうと
逆に自分の家族が崩壊してしまいます。
そうなると自分の生存すら脅かされてしまいます。

だから本当は父親を殺したいけど
それは押しとどめておいて現実に合わせて生きていく。
このなような形で私たちは「自分は本当はこうしたいけど
それをとりあえず抑えておいて現実に合わせて生きていく」
こういうことを学ぶ。
これをエディクスコンプレックスといって
超自我を形成する端緒になっているんだとフロイトは主張しました。

以上で解説を終わります。