今回の記事ではE.ゴフマンさんが主張した演劇論的アプローチについて
わかりやすく解説していきたいと思います。
Eゴフマンが主張した演劇論的アプローチとは?
ゴフマンさんは前回解説したスティグマのところで登場しています。
⇒ゴフマンのスティグマとは何か?わかりやすく解説
ゴフマンさんの社会学における立場というのは
演劇論的アプローチというふうに言われています。
ゴフマンは「この世界は劇場の中で演技する俳優だ」とたとえば
社会を理解しようとしました。
たとえば、お医者さん。
本当は冗談が大好きで
いつもケラケラ笑っていたとしても
亡くなりそうな患者さんの前では
お医者さんらしく振舞うように演技していたりするわけです。
ですが、お医者さんだから演技しているというより
日常生活の中でも演技している場面だってあるでしょう。
たとえば、そのお医者さん(男性)、他の女性と不倫していたとしましょう。
で、たまたま奥さんとそのお医者さん、娘と3人でデパートに買い物に来ていました。
そしてエレベーターに乗ってみると・・・・
なんとそこにそのお医者さんの不倫相手が乗っていました!
もしエレベーターに乗っている人がどうでもいい同僚とか
ものすごく仲の良い親友だったら問題ないわけです。
「お!こんなところで会うなんて奇遇だね!」
みたいに言えばよいわけです。
でも、自分の家族と一緒にいるときに
しかもエレベーターという密閉された空間の中で
不倫相手と出くわしてしまうという状況は修羅場になってしまいます。
こんな状況であなたがお医者さんの立場だったらどうしますか?
おそらく、エレベーターが動いている間は不倫相手と目を合わせないように
下を向いていたり、家族にぎこちない動きをしながら
「あ、あのさー、今日、どこで昼ご飯た、食べようか?」
みたいな感じでふだんは無口でも、無駄にしゃべったりするのではないでしょうか。
でも心臓はバクバクでしょう。
そうやって家族に気づかれないように『演技』すると思います。
そしてエレベーターが止まりました。
で、不倫相手がエレベーターから降りて行ったら、
「はー」とため息をついたりしながらも放心状態になっていることでしょう。
ゴフマンは儀礼的無関心という話をしています。
もし、不倫相手(仮にA子とします)が50m先を歩いているのを発見したらどうでしょう?
あなたは「あ、あんなところにA子が歩いてる!後でLINEしておこうかな」
みたいなことを心の中で思いつつ、ジロジロ視線を不倫相手に向けるかもしれません。
でも、同じ家族がいる状況下でエレベーター内で不倫相手と出会ったら
その不倫相手を無視したり、目を逸らしたりするわけですね。
この目線を逸らすのは演技です。
なのでゴフマンの社会学は人間観察みたいなものです。
目の前のいろんな人のやり取りを見ながら「あ、こんな演技をしてるんだ!」
というのを研究している社会学で、これが演技論的アプローチです。
以上で解説を終わります。