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一般知識

社会学者ミードが主張した客我とは?




前回の記事でミクロ社会学に分類されるクーリーの鏡に映った自我について解説しました。
ミクロ社会学とは?マクロ社会学との違いをわかりやすく解説
クーリーの鏡に映った自我とは?例を挙げながらわかりやすく解説

今回の記事ではミードさんが主張した客我(きゃくがと読みます)について
解説していきたいと思います。

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ミードが主張した客我(きゃくが)とは?わかりやすく解説

ミードさんは人の心を語る上で
2つの側面(客我と主我)を主張しました。

まずは『客我』です。

客我とは周りの影響を受けて心の中で形成された道徳意識、価値観のまとまりのことです。
たとえば以前解説した、パーソンズのパーソナリティシステムのように
人間は成長する中で周りの影響を受けて、
心の中にいろんな知識、価値観、道徳意識が作られていきますね。
パーソンズのパーソナリティシステムの詳細はこちら

それが積み重なった意識や知識の塊を客我といいます。

パーソンズの場合は人間を語る時に、客我の部分しか見ていませんでした。
でも、人間は確かに周りの影響を受けて心の中に道徳意識が刻み込まれ、
知識が形成されていくかもしれません。

ですが、ミードの場合、それとは別に主体的に物事を判断する部分があるというわけです。

たとえば、車を運転していて制限速度が時速40㎞の道で
時速60㎞で走行してはいけないわけですよ。

客我

でも、ものすごい田舎道で1㎞先まで見渡しても1台も車がいないし
歩行者もいなくていかにも安全そうだったら
「まぁ、いいか、忙しいし、時速60㎞で走っちゃえ」と判断することもあるかもしれません。
(違法だから絶対にやってはいけませんけどね)

これはロボットとは違うわけです。
ロボットだったらプログラム通りに動くだけです。

でも人間というのは道徳意識は身につけているのは当然のことですけど、
道徳とはちょっと距離をとって自発的に判断している部分もあります。

これを主我といいます。

このように心の中にも主体的な部分もあるわけです。
ただ、継続的に成長していくのは客我の方です。
なので、客我の発達段階をミードさんは2つに分けています。

1つ目はプレイ段階です。
プレイ段階といのは目の前の誰かのマネをして相手の役割を身につけていく段階の事です。
具体的な誰か(両親とか兄弟とか)を重要な他者といったりします。

おままごと

たとえば、子どものころだったら誰でもやったことのある『おままごと』は
両親がやっていることを真似して遊んでいるわけですね。

つまり、自分の親の受け売りなわけです。
目の前の誰かのマネをすることによって世の中のいろんな役割を覚えていく。
これが第1段階のプレイ段階です。

もちろん、このときの道徳意識は受け売りなわけです。
受け売りというのは、「どうしてこんなことやってるの!」って怒られたら
「だって、お父さんが、これでいいって言ってるから!」って返答するような感じのことです。

ところがだんだん成長していくうちに
世の中にはいろんなものの見方や考え方があることがわかってきます。

これが2段階目のゲーム段階です。

バスケットボール

たとえばバスケットボール。
プレイ段階とゲーム段階の違いというのは、
小学生のバスケと高校生のバスケの違いみたいなものです。

小学生のバスケだと、みんながヒーローで周りが見えてなくて
全員がボールを奪ってシュートを打とうとします。
役割分担をしていないってことです。

これに対して高校生のバスケだったら、役割分担ができてきます。
ディフェンスに集中する人もいれば、シュートを打つのに集中する人が出てきます。

世の中には自分の役割だけでなくて
いろんな役割があって、それをつなげて全体が分かるようになっていくというのがゲーム段階
です。
また価値観というのも目の前の誰かの受け売りではなくて
一般的な価値観というのがわかってきます。

こうやって形成された他者の態度のことを一般化された他者といいます。

今回の記事では客我を中心的に解説しました。