一般知識

メソポタミア文明が起きた場所は?エジプト文明の違いもわかりやすく解説




この記事では

・行政書士試験の一般知識を勉強している方
・高校で世界史を選択した方
・公務員試験で世界史の勉強をしている方

レベルに合わせて記事を書いています。

なので、大学で世界史を専攻している方が
当記事を見ても「つまんない」と感じるかもしれませんのでご了承ください。

今回の記事では

・メソポタミア文明が起きた場所はどこか?
・メソポタミア文明を理解するためにエジプト文明と比較する

ような内容になっています。

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メソポタミア文明が起きた場所は?

メソポタミア文明 場所

古代メソポタミア文明はティグリス川、ユーフラテス川の流域に成立をしていきます。
ティグリス川、ユーフラテス川というのは今のイラクにある川です。

今のイラクにティグリス川、ユーフラテス川という2つの川が流れているのですが、
この2つの川の間という意味があるのがメソポタミア
というものになります。

メソポタミア文明というのは川の間に成立した文明、
つまり場所の名前だと理解してください。

このメソポタミア文明が起きた場所では
紀元前2700年ころにシュメール人という人たちが都市国家を形成していきます。

シュメール人たちが

・楔型文字
・太陰暦
・60進法

というものを発明していきます。

楔型文字というのは粘土板に粘土のへらで痕をつけたようなものです。
それから太陰暦は日本でいう旧暦です。
太陰暦とは、月の満ち欠けで1か月を定めるこよみのことです。
太陰は太陽と対になる用語なので、太陰は月を意味します。

また太陰暦は月の満ち欠けで1カ月とみるため、
1カ月周期が約27.3日となってしまい、1年が365日になりません。
毎年、少しずつずれていきます。

「今は8月だから~を植えよう」みたいな農業に人にとって
太陰暦は不向きです。

でも大昔は月の満ち欠けの方が視覚的に判断できるため、
太陽暦よりも太陰暦が発達していました。
でも、現在みたいにITが発達しているような時代だと
より季節と~月が一致する太陽暦が主流です。
日本ももちろん太陽暦です。

あと60進法ですが、
現在1時間は60分ですね。
これのことです。

60進法とは60になったら、上の位に上げていくもののことです。
1分を積み重ねて60分になったら1時間という位になります。
120分だったら、60分が2つで2時間ということですね。

これが60進法でメソポタミア文明当時のシュメール人たちが発明しました。
シュメール人、頭がいいですね。

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メソポタミア文明とエジプト文明の違い

エジプト文明はエジプトのナイル川流域に成立したものです。
メソポタミア文明はティグリス川、ユーフラテス川の流域に成立したものです。

エジプトは前が地中海、後ろが砂漠という非常に閉鎖的な地域にあったので
異民族からの征服をほとんど受けませんでした。
ですので、「これがエジプトだ」という独自の文明が成立しています。

これに対してメソポタミアは川の間に成立した文明なので
非常に開放的な地形でした。
四方八方からいろんな民族がメソポタミアに攻め込んできて国を作ります。

そこがエジプト文明と違います。

メソポタミアの代表的なのがバビロニア王国となります。
なぜバビロニア王国(国の名前)が代表になるのでしょう?
バビロニア王国では「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典が編さんされていきます。

つまり、メソポタミア文明=ハンムラビ法典
ということは覚えておきましょう。

ではハンムラビ法典はどんな文字で編さんされたと思います?
これは答えられないといけませんよ。

メソポタミア文明=楔型文字(くさびがたもじ)でしたね。
ですからメソポタミア文明に編纂されたハンムラビ法典は当然、楔型文字で編さんされています。

これに対してエジプト文明は太陽暦でした。
メソポタミア文明は太陰暦でしたね。
文字は神聖文字です。

まとめますと

・メソポタミア文明が起きた場所はイラク(ティグリス川、ユーフラテス川の間)
・エジプト文明は太陽暦、神聖文字、閉鎖的な地域だったので異民族に制圧されることは
ほとんどなかった
・メソポタミア文明は太陰暦、楔型文字、開放的な地域だったのでいろんな民族が国を作った
・メソポタミア文明で有名な国はバビロニア王国
・バビロニア王国で有名なのはハンムラビ法典で楔型文字

続いてインダス文明について解説します。
インダス文明の特徴と場所についてわかりやすく解説