今回の記事ではプラザ合意についてわかりやすく解説していきたいと思います。
プラザ合意とは?わかりやすく説明
プラザ合意を抜きにして現在の日本の状況を語ることはできません。
プラザ合意って一体何か?まず事実関係をしっかりと知っておきましょう。
1985年9月、G5がニューヨークのプラザホテルで行われました。
・日本
・アメリカ
・イギリス
・ドイツ
・フランス
の大蔵大臣(アメリカだけ財務長官でした)と
中央銀行の総裁がニューヨークのプラザホテルに集結して会議が行われたのです。
そこで決まったことは『外国為替市場でドル安誘導を行おう』ということです。
ドル安といったら円高を意味しますからね。
⇒円安と円高についてわかりやすくイラストを使って解説
1980年代というのは日本が世界各国に洪水のように
日本車を輸出していたので諸外国は頭を抱えていました。
GDPは輸出したらプラスに働きますが、
輸入はマイナスに働きますからね。
日本が輸出ということは受け入れた国は輸入になりますから。
⇒GDPに含まれないものと含まれるものを例を挙げて解説
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⇒なぜ三面等価の原則によりGDPが一致するの?
なぜプラザ合意でドル安円高に誘導しようとしたのか?
日本が日本車を各国に輸出していたという背景も要因の1つです。
くどいようですが、円高になると輸出、輸入はどうなります?
円高になると輸入が有利で輸出が不利になりますね。
⇒円安と円高についてわかりやすくイラストを使って解説
プラザ合意の結果、
1ドル240円台から1ドル150円台へと高騰しました。
すさまじい、考えられいくらいの円高になったのです。
結果、日本経済は大ダメージをくらってしまったのです。
円高になるということは輸出が難しくなりますよね。
先ほどもいったように
円高になると輸入が有利で輸出が不利になるわけですからね。
そうなると日本は困ります。
当時の日本は貿易で稼いでいましたから。
外国に物を売って稼ぐということです。
円高ドル安になると海外の人にとって
日本車は高くなり、高価なものになってしまいます。
なので、海外で日本車が売れなくなってしまったのです。
⇒円安と円高についてわかりやすくイラストを使って解説
そして日本の国際競争力が落ちてしまいました。
日本は日本車の輸出で稼いでいた
⇒海外は日本車の輸入で悩んでいた(海外はGDPを押し下げる要因)
⇒プラザ合意により、ドル安円高に誘導した
⇒日本は輸入が有利、輸出が不利な状況に
⇒日本経済が大ダメージ
ということです。
日本にとって行き過ぎたドル安円高傾向を
なんとかしようとして、1987年2月にルーブル合意がなされました。
ただ合意はしたけど、合意後も円高ドル安はどんどん進行し
1ドル120円までになりました。
2010年代の前半ではさらに円高が進んで1ドル80円台まで進みましたが、
アベノミクスによって円安が進み、
2021年8月現在菅内閣ですが、1ドル110円になっています。
以上、プラザ合意についての解説を終わります。