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一般知識

摂政と関白の違いについてわかりやすく解説

摂政 関白 違い




今回の記事では
摂政と関白の違いについてわかりやすく解説していきます。

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摂政と関白の違い

摂政や関白の話で有名なのは摂関政治のあたりでしょう。
藤原氏が摂政や関白になった時代です。
平安時代の半ばになります。

藤原氏というのは平安時代に天皇の親戚となって
政治の中枢で権力を握った一族です。
それが平安時代中期、9世紀から11世紀になります。

以前解説したルール変更していた
桓武天皇や聖武天皇の時代は平安時代の初期です。

で、藤原氏は摂政や関白になったのですが
藤原氏の中で初めて摂政になった人は誰でしょう?
藤原良房(ふじわらのよしふさ)です。

それから藤原良房の息子、養子にあたるのですが、
後を継いだ藤原基経(ふじわらのもとつね)という人が
初めて関白になりました。

藤原良経は摂政もやりましたが、
摂政をやったあとに関白になりました。

この辺から藤原氏が政治の中枢で権力を握るようになっていきます。

では摂政と関白の違いって何でしょう?
簡単に言うと摂政というのは天皇の代わりに政治ができる人のことです。
ただ天皇が女性だったり子供だったり病気だったりして
健康な一人前の男性としての仕事ができない場合に
天皇のいわゆるピンチヒッター役が摂政です。

いろんな儀礼をやらないといけないのですが、
女性立ち入り禁止のお寺や神社があるので
天皇が女性だった時、男性でないとできない仕事ができません。
そんな場合、摂政が設置されます。
そして天皇がやるべき仕事を代わりに摂政がやるわけです。

天皇が病気で動けない場合もそうです。
そんな場合も摂政が登場して天皇の仕事を代行します。

これに対して関白というのは
天皇が健康で一人前の成人男性で普通に仕事ができるのに
その天皇の代わりに天皇の仕事ができる人です。

なので格付けというかレベルとしては
関白の方が摂政より上です。

天皇が子供、女性、あるいは病気で動けないときに
代わりに仕事をする摂政よりも
きちんと仕事ができる天皇がいるにもかかわらず
代わりに仕事ができる関白の方がランクが上ですよね。

ちなみに藤原良房は臣下として初めて摂政になった人です。

『臣下として初めて』という意味は
今まで皇族の一員が、摂政とか関白といった役職に就任していました。
聖徳太子も摂政でした。
自分の叔母に当たる女性が天皇だったので
聖徳太子は摂政として天皇の仕事を肩代わりしました。

なので皇族の一員が今までは摂政や関白といった役職についていましたが、
藤原良房や藤原基経は皇族の一員ではありません。
単なる貴族です。
娘を天皇の嫁に出していますが
自分自身は天皇の一族ではありません。
臣下になります。

ということなので天皇一族でない人で初めて摂政になったのが
藤原良房で、関白になったのが藤原基経です。

覚え方としては順序を覚えましょう。
なぜなら最初って普通ランクが低い方を就任するもの。
そのあと、信頼されたらランクの高いものになっていくものですからね。
なので藤原良房の次に藤原基経と順番を覚えておけば
最初の藤原良房が摂政で次の藤原基経が関白だと逆算できると思います。

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摂政と関白の違いまとめ

摂政と関白の違いは

●摂政
・天皇のピンチヒッター的役割
・天皇が女性だったり病気で動きで動けない場合に
摂政が代わりに仕事を代行する

●関白
・天皇が健康で普通に仕事ができる状態だけど
それでも天皇の代わりに仕事ができる人

以上のことから格付としては関白の方が摂政より上。

でした。

こんな感じで摂政や関白となって
藤原氏は天皇の代わりに仕事をして政治の権力を握るわけですが、
最盛期といわれるのが藤原道長や藤原頼通親子です。

以上で解説を終わります。