今回の記事では生の哲学(せいのてつがく)とはどういうことなのか、
わかりやすく解説していきます。
生の哲学とは?
生の哲学とはどういうものか?
人間の本能とか意志とか直観といった
私たちが『生きる』ってことにより近い能力を
積極的に評価すること。
また、人間の生命力の創造力を伸ばそうといった思想が生の哲学です。
なので
・私たちが『生きる』ことにより近い能力(本能、意志、直観)を積極的に評価する
・人間の生命力の創造力を伸ばそうとする
思想のことです。
生の哲学は19世紀後半から20世紀初頭にかけて登場するのですが
どうして
・私たちが『生きる』ことにより近い能力(本能、意志、直観)を積極的に評価する
・人間の生命力の創造力を伸ばそうとする
思想が生の哲学として非常に独自なものとして
評価されるのでしょう?
生の哲学では一般的には『理性』を重視するのが一般的です。
理性というと例えばプラトンだったらイデア(永遠不滅なもの)ですね。
⇒イデア論とは?わかりやすく解説
イデア(永遠不滅なもの)という考え方が
西洋においては一般的です。
理性という能力で永遠に変わらないイデアを物事の本質として捉える。
これこそが人間にとって大事なことなんだという考え方が
プラトン以来ずっと西洋哲学では続きます。
ですが生の哲学ではイデア(永遠不滅)という考え方ではありません。
むしろ人間の本能とか意志とか直観とか、
こういうような日々私たちが生きていく中で
どんどん変わっていくものと生の哲学では捉えます。
つまり永遠不滅なものというよりも
生成消滅していく(永遠に変わっていく)ようなものだということです。
生きる限りどんどん変わっていきますが
そういう変わっていくことを重視するのが生の哲学です。
生の哲学:ショーペンハウアー
たとえば生の哲学の代表者としてニーチェなんかに影響を与えた人に
ショーペンハウアーさんがいます。
ショーペンハウアーさんは世界と生存の本質は盲目的な意志であると考えます。
それから生の哲学のもう1つの特徴として
宇宙全体というものを1つの生き物として考えるということがあります。
ショーペンハウアーさんも同様で
私たちの生存を含め世界全体というものは
何か私たちの方からでは全然わからないような盲目的な意志に従って動いていると考えます。
だから私たちの方からはなんだかよくわからないような
そんなような形でこの世界は動いている。
だから生きることは苦しみの連続だとショーペンハウアーさんは考えます。
こういう考え方を
一般的に『厭世観(えんせいかん)=世を嫌うこと』といいます。
ショーペンハウアーさんに言わせると生きることは苦しみの連続だということですが、
どういうことでしょう?
私たちがポジティブに努力して
なんかをやろうとしても次の時には死んでしまったりとか
全然わけがわからないような予想もつかないことによって
私たちの努力が全部無に帰されてしまったりすることってあるじゃないですか。
そういうことが私たちの世界の本質なんだってショーペンハウアーさんは考えます。
「つまり盲目的な意志によって私たちはどんなに自分が頑張っても
それを全部否定されてしまったりすることがあるよ、
だから生きることは苦しみの連続なんだよ」とショーペンハウアーさんは
言っているわけですね。
こういったショーペンハウアーの考え方は
19世紀末のヨーロッパに大きな影響を与えました。
ではどうすればよいか?というとショーペンハウアーは
例えば音楽を聴くなど芸術作品に接してつらい世の中を一時忘れるのも一つの手段だといいます。
もしくは何か頑張ろうとするからいけないので
頑張ろうとする気持ちを全部失くす。
つまり完全な禁欲主義をとることによって
ショーペンハウアーはこの世界において何とか幸せになれるといいました。
だから浮世を忘れる、現実逃避、もしくは
すべての欲望を断念する(完全な禁欲主義)しか
私たちが生きていくときに幸せになる手段がないと
ショーペンハウアーは言っています。
生の哲学:ベルクソン
生の哲学の代表者として一般的にはフランスの哲学者であるベルクソンが有名です。
『創造的進化』という本を書いていまして
ここで我々の宇宙というのは一つの生き物という形で考えられていて
創造的な進化を行うと主張しています。
創造的進化のきっかけとなるものとしてエラン・ヴィタールというものがあるのですが
エラン・ヴィタールとはフランス語で『生の躍進』という意味です。
エラン・ヴィタールによって
私たちの宇宙というのは創造的に進化していくと
ベルクソンは主張しています。
以上で生の哲学についての解説を終わります。