中江兆民は1847年生まれで1901年に亡くなっています。
この記事では中江兆民(なかえちょうみん)って
どんな人だったのか?解説します。
中江兆民はどんな人だった?
中江兆民は『東洋のルソー』といわれたりします。
どうしてか?というと
中江兆民はフランスに留学して哲学を研究していました。
そしてルソーの社会契約論を『民約訳解(みんやくやくかい)』という名前で
翻訳出版しています。
そんなところから『東洋のルソー』といわれたりします。
フランスに留学していたことから
中江兆民はフランス革命などの影響が非常に強く表れているのですが、
その一つとして『恢復的民権(かいふくてきみんけん)』があります。
これは公務員試験や行政書士試験対策として覚えておいて損はないでしょう。
ちなみに恢復的民権は回復的民権と書くこともあります。
それから中江兆民は福沢諭吉の天賦人権論を
恩賜的民権(おんしてきみんけん)だとして批判しました。
⇒福沢諭吉の天賦人権論の詳細はこちら
簡単に天賦人権論とは何か?解説させていただきますと
『人間は生まれつき自由平等に生きる権利を持っている』という考え方の事です。
そんな福沢諭吉の考え方を中江兆民は
『恩賜的民権』って言って批判したわけです。
福沢諭吉が言っている天賦人権論は生まれた時から
私たちは自由平等に生きる権利を持っているという考え方。
中江兆民に言わせると
「それって上から権利や自由が与えられているじゃじゃない!」というわけです。
「こういうのは本当の民権ではない!」って中江兆民は批判しました。
では本当の民権ってどんなものなのでしょう?
本当の民権は「フランス革命みたいに民衆が自分の力で勝ち取るものだ」
と中江兆民は主張しました。
さすが中江兆民。
フランス留学していたことから、
フランス的な考え方が染みついていたのでしょう。
こういう「フランス革命みたいに民衆が自分の力で勝ち取るものだ」みたいな考え方を
『恢復的民権(回復的民権)』といいます。
中江兆民の回復的民権の考え方に傾倒すると
「日本で革命を起こそう」みたいな話になってしまいそうですよね。
でもそこまで過激な考え方ではありません。
中江兆民が生きた1800年代後半というのは
回復的民権の実現(革命を起こすこと)は不可能な時代でした。
このころって幕末から明治時代に変わっていく激動の時代ですからね。
日本が侵略国家だとかよく言えますね。
1800年後半、幕末から明治維新にかけて、日本の周りの国は西欧に植民地にされ奴隷にされ
ヤバいと思った人たちが明治維新、富国強兵で植民地を免れようとしてい時代。
清は日本にちょっかいをかけてきたので日清戦争になり、戦争に勝って賠償を勝ち取った。— OS🐕 (@Fuyutsuki1943) September 1, 2020
恩賜的民権というのは上から与えられるもの。
ということは当時であれば欽定憲法の範囲ということ。
中江兆民は恩賜的民権(欽定憲法)の範囲を守りつつも
修正していけば回復的民権と同じことをしていけると主張しています。
なのでそこまで中江兆民は過激な思想の持ち主ではないということです。
それくらい1800年代後半は革命を起こすのは難しい時代だったのでしょうね。
最後に覚えて欲しいことは
中江兆民は福沢諭吉の民権概念を恩賜的民権と批判して
自分の力で民衆を勝ち取る回復的民権こそが本来の民権なんだと主張した。
ここは知っておいて損はないでしょう。
以上で解説を終わります。