この記事では寄進地系荘園についてわかりやすく解説していきます。
寄進地系荘園とは?わかりやすく説明
まず大前提として荘園とは何か?とか
国司とは何か?ってことがわかってないと
寄進地系荘園の理解ができません。
もし国司や荘園のことがよくわからない方は
先に以下の記事をご覧になっていただけると幸いです。
では本題に入っていきますね。
平安時代中期における国司の任命について
国司というのは以前解説したように
天皇に任命されて4年間、各地の国(こく)に派遣されて
裁判したり、税を集めたりします。
で、平安時代中期に入ってくると
国司の任命の仕方が変わってきます。
どういう任命の仕方をしたか?というと
『国司の希望者募集!任期は4年間、武蔵野国』
みたいな募集をして、任命された人が国司として派遣されるようになりました。
ただし条件があります。
応募したい貴族は4年間で集める租庸調を前払いしないといけません。
わかりやすくいうと、貴族向けオークションです。
武蔵野国の国司になりたい貴族は自分が国司として4年間、
務めた時に国に納める税をあらかじめ前払いするわけです。
その前払い金額が一番高い貴族を
天皇は国司に任命します。
だから自分がその武蔵野国の国司になる前に
4年間で集める税は天皇に前払いしているわけです。
だからその元をとりに国司は武蔵野国に行くわけです。
そういう国司の任命の仕方になりました。
なので国司は4年間、やりたい放題になります。
まず任命されるのに前払いした税を取り戻さないといけません。
さらに4年たったら京都の都に戻るわけだから、
戻った時には今まで以上にお金持ちになって帰りたいでしょう。
だから必要以上の税をむしりとって帰るということを国司はするようになりました。
そのころの荘園経営者はどうした?
そんな国司がやってくるわけです。
地方の荘園経営者はどうしたのでしょう?
まず国司がやってきて荘園経営者を苦しめます。
定められた租庸調以上の税を国司をその荘園経営者からむしろとろうと
躍起になってきますからね。
その地方の荘園経営者である、
たとえばXさんは国司からいじめられますから、
どうしたらよいでしょう?
まず荘園経営者のXさんはいったん京都の街に行きます。
そしてある有力者に会います。
たとえば有力者をAとしましょう。
Aはそこそこ偉い貴族です。
で、荘園経営者XはAに
「Aさん、聞いてください。私は武蔵野国で
X荘園という荘園を経営しています。
つきましては私が経営しているX荘園のオーナーになってください。
そして私(X)はAがオーナーである荘園を管理している
雇われの管理人であるという書類を作って私(X)に渡してください」
というお願いをします。
Aさんはコネを使って
天皇の秘書室である蔵人所(くろうどどころ)に行って
「Aが荘園のオーナー、Xが雇われの管理人」といった趣旨の書類を作って
天皇のハンコをもらってきます。
で、「X荘園オーナー、有力者A」というような書類を
Xに渡して、Xを武蔵野国に帰すわけです。
もちろんXはそのお礼として毎年、たとえば米俵100俵などを
京都のAさんに送ります。
Aさんにしてみたって書類を作って渡すだけで
毎年そういった収入があるのであれば
それに越したことはありません。
だから、こういった話を受けます。
それでX荘園で作られたお米の中から契約した100俵は
Aさんに送ります。
で、その年の収穫になって
国司がXさんのところにやってきて税を取り立てようとします。
ただ地方の国司になる人というのは下っ端の貴族です。
そんな下っ端の貴族である国司がXさんに税を取り立てようとしたら、
Xは「Aさんの荘園ですよ」と書類を見せます。
その国司よりも偉いAさんの持ち物を
奪って良いのか?って話です。
立場としては地方の国司よりAさんの方が上になります。
「4年の任期が終わって京都に帰った時、
京都の貴族としての政治生命が絶たれますよ」
とXさんが国司にいうわけです。
「一切、私の荘園に手出しはしないでください。
立ち入りも禁止します」と国司に抵抗するわけです。
Xさんがやっているのはあくまでも今までの荘園経営です。
国司から余分な租庸調を納めなくて済むために
書類上はXさんは管理人にはなっていますが。
でも実際やっている仕事は今まで通り
自分の荘園内に住んでいる人に田畑を耕させています。
できた作物の一部はAさんに送りますが、
基本的に今まで通りの生活をAさんは送ることができるわけです。
こんな感じで自分の荘園を守るという地方の有力者がたくさんでてきました。
寄進地系荘園とは?
X荘園ですが、オーナーは書類上Aさんになっています。
このAさんを何というか?というと領家(りょうけ)といいます。
そして種類上は管理人になっているけど
本来の荘園オーナーXさんを荘官(しょうかん)といいます。
とにかく荘官とか領家という方法を使って
国司の介入を当時は防いでいました。
このような荘園を何というか?というと寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)といいます。
地方で開発して荘園経営者になった開発者が
有力者にその荘園を一応書類上譲ることになるわけです。
一応書類上譲ることを『寄進(きしん)』するというので
寄進地系荘園といいます。
以上のように平安時代中期になると
そういった寄進地系荘園というのが生まれてきました。
国司の立ち入り禁止、そういった言葉で宣言する荘園が出てきたわけです。
これを不輸・不入の権(ふゆふにゅうのけん)といいます。
不輸・不入の権というのは国司とその手下たちの立ち入り禁止を意味します。
本家とは?
話はさらに続きまして、
京都の有力者Aさんですが、
AさんはAさんで京の都の政治の世界で出世していきたいでしょう。
出世していくには何が一番手っ取り早いか?というと
当時の政治の中枢である藤原氏に取り入ることになります。
取り入るのには何が必要か?というと贈り物になります。
贈り物をどうするか?というと
先ほどの話です。
Aさんは武蔵野国のX荘園のオーナーになっていたわけですね。
そこの収入として米俵100俵ありました。
そこでその荘園の40%である40俵を藤原氏に送ったりします。
そうやって藤原氏と仲良くなろうとしたりしました。
こんな感じで有力者は有力者で
藤原氏に取り入るために
荘園からの収入の一部を譲ったりもしました。
そのようにさらに譲られたもっと有力な人を『本家(ほんけ)』といいます。
藤原氏は藤原氏で贔屓にしているお寺や神社があります。
そういったお寺や神社には藤原氏は贈り物をします。
なので本家となった藤原氏も贈り物をするのにどうするか?
Aからもらった米俵40俵のうちの半分である20俵くらいを
お寺に贈ったりしました。
こんな感じでXさんは今まで通り仕事をして
できた作物のうちの一部100俵のお米を京都のAさんに贈るわけですが、
今度はAさんの40俵を藤原氏へ、藤原氏はそこから20俵くらいをお寺へみたいな
流れになっていました。
以上が平安時代中期に見られた現象です。
もし土地制度の変遷についての通史がでたときに
平安時代の中期になると寄進地系荘園という言葉がでてくるので
間違えないようにしましょう。
以前解説した奈良時代の荘園は初期荘園でしたからね。
ややっこしいですね。
初期荘園についてはこちらで解説しています。
⇒聖武天皇がしたことをわかりやすく解説