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一般知識

政治権力とは?わかりやすく解説

政治権力 わかりやすく




今回の記事では政治権力とは何か、
できるだけわかりやすく解説します。

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政治権力についてわかりやすく説明

政治とは?わかりやすく解説

政治とは

政治とは何でしょう?
政治というのは『秩序を作り、維持していく』ことです。
秩序を保つためにはルール違反した人に対して
何らかの制裁を加える必要が出てきます。
ルールを守らない人に対して罰を与えるってことです。

権力

ルールを守らない人に罰を与えるにしてもですね。
ルール違反した人が身長190㎝120㎏の全身筋肉質の男性で
罰を与える人が身長150㎝40㎏の非力な女性だったらどうでしょう?

罰を与えるのは難しいですよね。

じゃ、そんな非力な女性でも
マッチョな人に対してでも罰を与えるにはどうすればよいでしょう?

『権力』が重要になってきます。
権力があれば身長150㎝40㎏の非力な女性であっても
190㎝120㎏の悪党に対して罰を与えることができます。

政治権力とは?

『政治権力』という言葉に対して
あまりなじみがないかもしれませんね。

では政治権力を他の言い方にしてみるとどうなるでしょう?
政治権力を別の言葉で言い換えると『国家権力』になります。

「じゃ、国家権力って何?」ってなる方もいるでしょう。
難しい用語ですからね。

国会
国家権力は

・司法権(裁判所)
・立法権(国会)
・行政権(内閣とか厚生労働省とか市役所などの業務を想像してください)

をあわせもったものです。

つまり、

ここまでをまとめると

政治権力とは国家権力のこと。
国家権力=司法権+立法権⁺行政権

ということです。

政治権力にはもう1つ重要な点があって
政治権力は合法的権力でないといけません。

合法的権力とは法に合致した権力ということです。
無法地帯って言葉がありますけど、非合法な権力は政治権力ではありません。

たとえば、お金で空手の有段者を雇って、
借金を返さない人に対して取り立てに行かせ、
何の法律の根拠もないのにドアを蹴って破壊して、
家の中に侵入して無理やりお金を奪っていくとか。
こういうのは政治権力ではありません。

借金を取り立てる場合は、
民事訴訟法とか民事執行法などの法律に従って
行わないといけません。

権力とは?

ここで権力一般について考えてみましょう。
権力は英語で『power(パワー)』です。

パワーはもともと物理学の用語です。

権力とは『他人に対して嫌々何かをさせること』です。
他人が嫌だと思っていることをやらせる力を権力といいます。

嫌がっていてもやらせてしまう力が権力です。

親の権力


たとえば、子供が宿題をするのを嫌がっていても
親が「はやく宿題をやりなさい!」と宿題をやらせるなら、それは立派な権力です。

このときには親が子供の間に権力関係が成立していて
親が権力を持っているということです。

これをもう少し難しい言い方をすると、
権力とは他者の意思に反して嫌々何かをさせる力のことです。

権力、特に政治権力では2つに分けて考えます。

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政治権力とは?2つに分けてわかりやすく解説

先ほど権力とは他者の意思に反して嫌々何かをさせる力のことだといいました。
ではなぜ人は他人が嫌がることをやらせることができるのでしょう?

政治権力の根拠(1)実体概念

実体とは物のことです。
実体概念とはどういう考え方かというと
人が他人に対して何かをやらせるためには
やらせることができる人は何か『物』があるはずだと考えます。

実体概念とは権力は人間の所有物から生まれると考えることです。

悪いやつ

たとえばあなたが勤務する会社の社長に言うことを聞かせるために
ナイフを突きつけて、「筆箱落ちたから拾って!」といったとしましょう。
そしたら相手は『嫌々ながら』落ちた筆箱を拾ったとします。

あなたが従業員で、相手が社長だったら
ふつうはあなたが落とした筆箱を拾ってくれないでしょう。

ではなぜ社長はあなたの筆箱を拾ってくれたのでしょう?
あなたがナイフを持っているから
社長にいう事をきかせることができたのです。

ゴミ拾い

あるいはあなたが1億円持っているとします。
真夏で外の気温が38℃。
そんな中一日中、外でゴミ拾いのお仕事をあなたはやらないといけないとします。

もしかしたら熱中症で倒れるかもしれないような
辛い仕事だったので、相手に「ゴミ拾いしてくれたら1000万円あげるよ」っていったとしましょう。
相手も熱中症のリスクもあって嫌だけど、
「1000万円もらえるなら」と嫌々ゴミ拾いをしてくれたとしましょう。

こんな感じでお金とか武器とか
そういう『物』が権力の基礎にあるという考え方が『権力の実体概念』という考え方です。

ただ政治権力の場合、武器といってもナイフレベルみたいなものじゃなくて軍隊です。
軍隊が究極的には人々を嫌々でも言うことをきかせることができると考えました。

そういうことを考えた思想家がいました。
マキアベリ(マキャベリ)というイタリアの思想家です。

なぜ国家が人々にいう事を聞かせられるか?
マキアベリ(マキャベリ)はこう言いました。
「国家には軍隊がある。秩序を乱す人がいたら軍隊が出動してその人をやっつける」と。

そこから国家は究極的には権力をもっているので
マキアベリは『権力国家観』という考え方を導き出しました。

先ほど、お金でゴミ拾いさせる話をしました。
たとえばお金のためなら嫌な事でも何でもするという発想がありますよね。

そういうことを考えた人が『マルクス』です。

マルクスの場合

・お金
・生産手段

です。

お金はここまでの解説で理解できると思います。
ですが、生産手段は理解しにくいかもしれませんね。

小学校

生産手段というのは工場とか学校の校舎などです。
たとえば、〇〇小学校があったときに、〇〇小学校が校舎を持っているから
その校舎を使って、学校の先生を働かせることができます。

なので生産手段を別の言葉で言い換えると『富』を意味します。

マルクスの場合、富を持っている人と持ってない人を区別します。

具体的には

・お金持ちを資本家(ブルジョワジー)
・お金持ちの下で働いている人を労働者(プロレタリアート)

と区別します。

労働者はどうしてブルジョワジーの言うことをきくのでしょう?
ブルジョワジーがお金を持っているからです。
お金を持っているからお金持ちの言うことを聞いてしまうわけです。

どうしてかというと、
ブルジョワジーの元で働かないと
自分はお金を稼げないからです。

そこから階級国家観が導かれてきます。

実体概念としての権力といった時に
お金だとか武器だとか、そういうものに限定されるか?というと
そうではなくて、もっといろんなものが権力の基礎になると主張した人がいます。
それがラズウェルという人です。

ラズウェルは軍隊とか生産手段、お金とかじゃなくて
もっといろんなものが権力の基礎にはあると主張しました。
これを『権力の基盤は多元的』といいます。

人々に自分の言うことを聞かせるためにいろんなものを持っているってことです。

ラズウェルは

・技能
・知識
・愛情

などが権力の基礎になるといいました。

たとえば愛情。
めちゃくちゃ美人な女性、あるいはめっちゃかっこいい男性がいたとしましょう。
そんな人があなたの目を見て、手を握ってきて
「お金に困ってるんだ、貸してくれない?」って言われたら
思わず貸してしまうかもしれませんね。

美人や美男だっていうことで
その人になびいてしまうという場面というのは
愛情とかそういうものが権力の基礎になるとラズウェルは考えました。

だから古代の哲学者にソクラテスがいますが、
ソクラテスは『美とは短期間の独裁である』といいました。
美しいものというのはそれだけ人を魅了しているということです。
魅了している間はその人の言いなりになっているのと同じことです。

だからソクラテスは『美とは短期間の独裁である』といったわけですね。
愛情というものは権力行使の基盤になっているといえまるでしょう。

それから知識。
ある人は知識があることによって人々に対して自分の言うことを聞かせることができます。
たとえば、孔子。
孔子という思想家はその政治体制の中で大臣などに徴用されました。
そういう意味で自分に知識があるから
その知識を使って人々に言うことを聞かせることもできるわけです。

ラズウェルによって暴力や富以外のものでも権力の基礎になるということが
明らかになってといえるでしょう。

他にもラズウェルは権力とは何か?と考えたときに
権力=価値のはく奪ということをいいました。
人から価値を奪うことができる場合、そこには権力関係が成立しているとラズウェルはいいました。

たとえば、労使関係。
経営者と労働者の関係を考えてください。
あなたがアルバイト(労働者)していて、
そこの店長(経営者)がいたとしましょう。

当然、経営者は労働者に対して仕事をするように促します。
でも、労働者は経営者が言っただけの仕事をしない場合があります。
経営者の期待を裏切るケースです。

たとえば、コンビニの店長が「パンを商品棚に入れておいて」
とアルバイトに言ったとしましょう。
でもアルバイトは仕事をさぼって事務所で寝ているようなケースが該当しますね。

この場合、経営者はアルバイトを解雇します。
解雇されるというのはどういう状態か?というと
この解雇こそが価値はく奪になっているわけです。

ではどんな価値を労働者は奪われたでしょう?
まず富の喪失があります。
失業したということはお給料が入ってきませんから
富という価値が奪われたと言えます。

他にも家族から愛情を奪われることもあるでしょう。
「どうして会社をクビになったの?」って責められるわけです。

ということは経営者と労働者の間には経営者が労働者の価値を奪うことができるという点において
権力関係が成立しているといえます

ただここで価値を奪われた人はどう思うでしょう?どう感じるでしょう?
腹立たしいかもしれません。
「俺はしっかり仕事をしたのに、なんで俺をクビにしたんだ」と。

となると権力を追求し始めることもあるでしょう。
これを権力追求者(けんりょくついきゅうしゃ)といいます。

権力追求者とは価値はく奪(価値剝奪)の補完手段として
権力を追求する人のことです。
自分がマイナスのイメージを植え付けられてしまった場合、
それをプラスにさせたい場合です。

たとえば「お前、頭悪いな」と言われたら
一生懸命勉強して東大、京大に合格するみたいな話です。
この場合、いろんな価値の中でも『知識』という価値を求めているから東大や京大に行こうとなるわけです。

あるいはいじめられっ子がいたとしましょう。
その子が「今に見てろ!俺は金持ちになってやる」となったら
その人はいろんな価値の中でも富という価値を第一に考えたわけです。

価値が剥奪された場合、人の反発って色々出てきますが
他にもいじめられたのを見返すために政治家になったり警察官になったとしたら
これは権力を追求したということです。

こんな感じで知識でも富でもなく権力を求めた場合、
権力追求者になるということです。

ラズウェルは政治学に精神分析学を導入しました。
そして政治家の精神分析をラズウェルはやったのです。
どういうタイプの人間が政治家になるのか?というのを研究しました。
その結果、権力追求者のことがわかったのです。

政治権力の根拠(2)権力の関係概念

権力というのはあるものから発生するという考え方ですが、
物ではなく関係の中で権力を捉えていきます。
これを権力の関係概念といいます。

これは人間の相互関係の中で権力を捉えるということです。
簡単にいうと、『相手にどのようなイメージを
抱かせることができるか?』が重要だということです。

どういうことかというと
相手がモノを持っているか持っていないかではないです。

怖い人


たとえば道の向こうから身長190㎝100㎏で怖い顔をした男性が
こちらをにらみつけながら歩いてきたら
あなたは避けて歩くと思います。

ただ身長190㎝100㎏の男性は
あなたに対して敵意があるかどうかなんてわかりません。
ただあなたをにらみつけているように見えるだけの話です。

私たちは色眼鏡で相手を見ているということ。
相手がいかにも怖い人だと思った。
だから避けて通ろうとしてしまうわけです。

ということはあなたと向こうから歩いてくる恐い人との関係の中で権力が決まるわけです。
あなたが本当はまっすぐ歩きたいのに端によけて歩くということは
あなたは嫌々させられたといえるでしょう。

これは先ほど解説したように
相手にどのようなイメージを
抱かせることができるか?』が重要だということです。

それから権力の関係概念の中で重要なのは
物を持っているから人にいう事を聞かせられるとは限らない』ということです。

物がなくてもいうことを聞かせることはできるということ。
つまり、イメージによっていう事を聞かせることができるということです。

裸の王様

具体例として『裸の王様』を挙げることができます。
王様は裸なので物なんて持ってません。
でもみんなひれ伏してしまうわけです。
そういう状態を想像していただくとわかりやすいでしょう。

権力というのはそういう意味で、
物がなくても作用するということです。

このことに関係する人に『ダール』という人がいます。
ダールが主張した権力の定義は第2次世界大戦後の主流になっています。
ダールは『ふだんやらないことをやらせたときに権力を持つ』と主張しました。
こんな感じで権力を2人の行為者間の関係として捉えたところが
ダールの権力概念の特徴です。

またダールが主張した権力概念を『多元主義的権力概念』といいます。

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その他の政治権力

三次元的権力概念

それからルークスという人がダールの多元主義的権力概念と区別する形で権力概念を主張しました。

ルークスが分類した権力概念は

・一次元的権力概念
・二次元的権力概念
・三次元的権力概念(ルークスが採用している概念)

です。

一次元的権力概念は目に見える権力作用だけを指します。
たとえば、あなたが友達に無理やりパンツ一枚で外を表せるなど
嫌なことをさせた場合など、そういった目に見える権力関係しか問題にしない場合を一次元的権力概念といいます。
一次元的権力概念は対象が観察できるってところが特徴になります。

二次元的権力概念は非決定権力論といわれることがあります。
非決定権力論とはどういうものでしょう?
非決定権力論とは問題があるのに、問題を問題として取り上げさせない権力のことです。

たとえば小学校の担任の先生が「このクラスの中でイジメに遭っている人いませんか?」
みたいな感じで手を挙げさせるケース。
この場合、小学生はイジメられてても手を挙げないと思います。
いじめを目撃した小学生も手を挙げないと思います。
なぜなら自分もいじめの対象になってしまうからです。

つまり、問題があるってみんな認識していて
なおかつそれを解決した方がいいと思いながらもそれを問題として
取り上げさせない権力が働いているということです。

たぶんそのクラスではイジメがあったとして
そのイジメをいじめとして取り上げさせないような力が働いているわけです。
自分がいじめられるかもしれませんからね。

それから三次元的権力概念こそがルークスさんが主張した権力概念です。
ルークスは『権力を権力として意識させない権力』と
「???」と疑問に感じてしまうようなことをいいました。

どういうことかというと
誰か意図をもって動かしているにもかかわらず、
動かされている人は意識しないという意味です。

パスタ

具体的にはマスメディアを挙げることができます。
たとえば、今、昼12時だとしましょう。
お腹がすいているとします。
テレビを見ていたらめちゃくちゃおいしそうなパスタ屋さん特集をされていたとします。
しかも30分間くらいやっていたとしましょう。

するとなんとなくパスタを食べたくなってくるかもしれません。
そのなんとなく食べたくさせているもの、それこそが
ルークスが主張する三次元的権力概念です。

だから権力を権力として意識させないというところが重要なのです。

権力者というのは自分が命令したからやるよりも
命令しなくても動いてくれる人が一番いいわけです。
それがパスタ屋さん特集みたいな具体例になります。

これは政治権力でもよくあることでしょう。
『忖度(そんたく)』なんてまさに三次元的権力概念の具体例といえるでしょう。
以上がルークスの権力論です。

フーコーの権力論

20世紀後半から21世紀にかけて、
権力論でいったらフーコーがメインになっています。

フーコーの権力論で大事なのは

・規律権力
・管理型権力

規律権力とはルールは内面化されているということです。
規律や規範の内面化といったりもします。

規範とは良心とかもう1人の自分という意味です。
これはどういう時に出てくるか?というと
規範の内面化というのは、誰かが見ているかもしれないから私は犯罪に手を貸さないという状況です。

監視カメラ


たとえば、公園に監視カメラがあるのはあなたは確認したとしましょう。
「監視カメラに撮られているかもしれない」と思ったら
自分で気をつけようと思うわけです。

そうすると犯罪に手を貸さないわけです。
これは規範の内面化の具体例です。

他にも規範の内面化の具体例を挙げますね。

カンニング

たとえば、入学試験。
あなたはまったく勉強していなかったけど、合格したいと思ったとしましょう。
知識がないのに合格するためには不正行為をするしかないでしょう。
カンニングですよ。

あなたがカンニングすると決断したとして
試験官はあなたの前にいた方がやりやすいか、
それとも後ろにいた方がやりやすいか、どちらでしょう?

試験監督が前にいるということは
権力を持っている人間が前にいるということです。
あなたの前をウロウロしています。

ただ、試験監督が前にいることを認識している状況で
その試験監督が他の受験生の陰に隠れた瞬間にカンニングできるかもしれませんね。
つまり権力のありかがはっきりしています。

でも試験監督があなたの後ろに行って、後ろからチェックしているとしたらどうでしょう?
あなたからすると「もしかしたら自分のことを見ているかもしれない」と
頭をよぎるでしょう。
自分の方を試験監督が見ているかもしれないと意識すればするほど
規範(良心)に従わないと得なくなります。

規範が内面化されているということは
すごく人の行動を拘束するというものなのです。

ただ、令和4年現在、規範の内面化が機能しなくなってきています。
どうしてか?というと、規範の内面化がされていない人が増えてきているからです。
「わからなければいいや」と考える人がいるからです。
たとえば万引き。
監視されているなと思ったら万引きしません。
逆に監視されてないと思ったら万引きしてしまう人がいるわけです。

そこから管理型権力というものができました。
管理型権力というのは身体に訴える権力のことです。

どうして身体に訴えかけるかというと
人々の内面や良心に訴えても人々はいう事を聞かないと考えたからです。
今、管理型権力という権力が身の回りにあるということです。

たとえば、マクドナルドに行ったことありますか?
マクドナルドって迅速にお客さんの注文を聞いて、お金をもらって
すぐにハンバーガーを作って用意して手渡したいわけですよ。
できるだけ早くお客さんを処理しないと、大混雑してしまいます。
ドライブスルーだってお店の外の道路まで並ぶ状態になることだってあります。

だからマクドナルドはできるだけ早くお客さんを処理したいわけです。
マクドナルド側からしてみたらお客さんにはハンバーガーを買ったらすぐに食べてもらって
早く返ってもらいたいわけですよ。

そうすると渋滞を回避できますし
お店の中の座席だって空きますからね。

ではどうやって回転を速くするのでしょう?
体に訴えているわけです。
マクドナルドのイスって硬いですよね?知ってますか?
あの硬い椅子でずっと座ってられないと思います。

スターバックスのソファだったらずっと座ってられますよね。

マクドナルドの場合は回転率を上げたいため
あえて硬い椅子を採用しているわけですね。

他にもみんなワイワイガヤガヤ大声で会話するとうるさくなりますね。
するとうるさいからBGMのボリュームを上げていきます。
するとボリュームが上がれば上がるほど
人の声が聞こえなくなりますよね。

結果、会話ができないからお客さんは外に出ていきますから
お店の回転率が上がりますね。
つまり、私たちの体に訴えて言うことを聞かせる権力が出てきているということです。

他にも具体例があります。
電車のシート。
5人掛けの座席なのに4人でいっぱいになってしまうことがあったから
あえて座席をデコボコにして5人ちょうど座れるようなものもできてていますね。
そうすると5人掛けにならざるを得ませんからね。

そうやって座りにくくすることによってわざとに5人掛けにしているわけです。
みんなが守らないからです。
良心に訴えたって無駄だと鉄道会社は思ったのでしょうね。

みんながルールを守らなければ守らないほど
こういう権力が出てくるということです。
今、その中に私たちもいるということです。

権力の問題というのは体に訴えかけているということで
私たちの良心に期待されていないということですね。
ちょっと悲しいことですけどね。

以上この記事の文字数が1万文字を超えてきたので
そろそろで政治権力とは何か?という事についての解説を終わります。

お付き合いいただきありがとうございました。