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一般知識

武士団についてわかりやすく解説

武士団 わかりやすく




この記事では武士団についてわかりやすく解説します。

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武士団とは?わかりやすく説明

前回の記事では寄進地系荘園について解説しました。
寄進地系荘園についてわかりやすく解説

土地制度の変遷についての通史が出題された時に
平安時代の中期になると寄進地系荘園という言葉が出てきます。
以前解説した奈良時代の場合だったら初期荘園っていいますからね。
初期荘園についてはこちらで解説
混乱しないようにしましょう。

武士団ができたきっかけ

前回解説しましたが、寄進地系荘園を持つことで
その地域のお金持ちはそれで安泰か?と思ったら
大間違いです。
寄進地系荘園についてわかりやすく解説

どういうことか?というと
例えば武蔵野国で荘園を経営しているとしましょう。
ただ武蔵野国はめちゃくちゃ田舎なので
盗賊や山賊に襲われることがあります。

ただ、盗賊や山賊に襲われた時には
もちろん国司が軍隊や警察を持っているので
守ってくれます。

でも、困ったことに寄進地系荘園のところで解説したように
国司とその仲間たちがそこの荘園に出入りすることは
禁止されています。
だから盗賊や山賊に襲われても国司たちが守ることはできません。
寄進地系荘園の解説はこちら

ではどうするか?
自分が経営している荘園の中の若者を集めて
武器を持たせて軍事訓練をさせます

そして盗賊や山賊が襲ってきたときに
軍事訓練をさせた若者たちに自分が経営している荘園を守ってもらうわけです。
そんな感じで荘園の警備に当たった人たちを武士といいます。

そしてその集団を武士団といいます。

したがって平安時代の中期になると武士が登場します。
自分の身は自分で守らないといけなくなったということです。
国司とその仲間たちを立ち入り禁止にしたために。
とにかくそういうことで武士が誕生し、
その武士たちが組織化し武士団ができたということです。

承平・天慶の乱

関東地方と瀬戸内海で反乱がおきました。
『承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)』といいます。
平将門(たいらのまさかど)が関東で
藤原純友(ふじわらのすみとも)が瀬戸内海です。
この2人の反乱を承平・天慶の乱といいます。
そして承平・天慶の乱を鎮圧したのが
そもそも荘園の警備人だった武士とよばれる人たちです。

武士と呼ばれる人たちが戦って承平・天慶の乱を鎮圧しました。
遠く離れた関東や瀬戸内海の話ですが、
京都の公家、貴族たちも警備人である武士たちは使える存在だと認知するようになりました。

前九年・後三年の役

さらに源氏が力をつけるようになったのが
前九年・後三年の役(ぜんくねん・ごさんねんのえき)です。
東北地方で反乱がおきました。
東北地方の祖の反乱の鎮圧を命令したのが源義家(みなもとのよしいえ)でした。
源義家は京都の都で天皇から「内乱を鎮圧してきなさい」と命令されました。
そこで源義家は天皇に「軍隊はどうします?」と聞きました。
天皇は「軍隊は東北、関東地方で腕の立つやつを集めなさい」といいました。

そこで源義家は関東に行き
荘園を警備している若者(武士団)から軍隊に入るものを選びました。
源義家はそうやって武士を集めて
東北地方に行って内乱を鎮めました。

天皇は「内乱を沈めたご褒美だ」ということで
関東地方にたくさん荘園があったので
その荘園を源義家に褒美として与えました。

源義家は褒美として受け取った荘園をどうしたか?
というと、自分のために集まってくれた武士たちに
「オーナーになってください」といって分け与えました。

つまり前九年・後三年の役のあと、
武士たちが荘園オーナーになったのです。

今まで武士といったら
誰か有力者の経営する荘園を警備するガードマンに過ぎない存在でした。
でも、関東地方でガードマンをやっていた武士のうち
源義家のもとで戦った武士たちは褒美として荘園を与えられ、
荘園オーナーになったわけです。

したがって関東地方の武士の中には
源氏のためなら命も惜しくないという武士が
荘園オーナーとなっていっぱい住み着くようになりました。
これが平安時代の中期です。

以上で解説を終わります。