以前、自由主義と民主主義の違いについて解説したことがあります。
⇒自由主義と民主主義の違いについてわかりやすく解説
今回の記事では自由主義と新自由主義の違いについて解説します。
目次
自由主義と新自由主義の違いとは?
自由主義と新自由主義の違いは
自由主義の変遷を知ることで理解できます。
なので自由主義の変遷について解説していきますね。
自由主義の変遷
まず古典的自由主義がでてきます。
古典的自由主義は一番最初の自由主義のことです。
そのあと現代的自由主義がでて、最後に新自由主義が出ます。
古典的自由主義
⇒現代的自由主義
⇒新自由主義(現代)
という流れになっています。
古典的自由主義、現代自由主義、新自由主義と
どれにも同じ『自由主義』という言葉が入っていますね。
ですが、『自由』という言葉の意味が変わっていくというのが重要な点です。
古典的自由主義、現代的自由主義、新自由主義の違い
(1)古典的自由主義
まず、古典的自由主義から。
古典的自由主義は19世紀までの自由主義です。
そして古典的自由主義のキーワードは
『自由放任』です。
放っておくということです。
放っておかれるのが自由という考え方、
これが古典的自由主義の特徴になります。
放っておくことがよいという考え方なので
経済や社会もなるべく政府は介入しないということになります。
なので古典的自由主義が理想とするのは『経済の自由競争』となります。
古典的自由主義によって
自由競争をすると何が起こるか?
というと勝ち組と負け組が生まれます。
勝つ人と負ける人が出てくるってことです。
競争だから仕方がないと考えます。
ただ古典的自由主義が理想とする自由には
敗者復活戦があります。
負けたからといってずっと負けっぱなしではありません。
敗者になっても勝者になる可能性がある
っていうのが古典的自由主義の主張です。
でもそうではなくて
一度つまづいたらずっとつまづきっぱなし。
一度負けたらずっと負けっぱなし。
それが今でいうと勝ち組と負け組という表現になります。
『組』になってしまうわけです。
そこから抜け出せないとしたら・・・
負けた人がずっと負け続けるとしたら・・・
その人っていうのは自由でしょうか?
と考えると、それは自由ではないでしょう。
そこから現代的自由主義が出てきました。
(2)現代的自由主義
現代的自由主義において自由を自己実現の自由と捉えています。
『なりたいものになる』という自己実現の自由、
これが現代的自由主義です。
たとえば、たまたま経済的に貧しい状況に置かれていたとしましょう。
そのため、大学の医学部に進学することをあきらめざるを得ないという状況です。
医者になりたくても医学部は高額な学費がかかるからあきらめないといけません。
大学院行くかどうかはさておき、、無償にする必要はないやろ。
大学に行きたい人が行けないなら支援する必要はある。
その選択肢を拡げてあげるのが大事であってだね。
例えば医学部に進学できる力があるのに貧しいから行けないとかは救ってあげて欲しいなぁ。— あすぼく (@EarthBoku) October 15, 2021
最近思うのは親の仕事と子供の給料に相関関係があるんじゃないかっていうこと。
医者の子供は何浪してでも医学部行けるけど、貧しい人は一浪も出来ず私大にも行けない。こういうお金の有無が生む余裕って重要だと思う。— karma (@karma_amsu) July 28, 2020
そんな状況においてその人に対してお金を援助してあげる
ってことだってあるわけです。
そうすることによって自己実現ができるようになります。
つまり人々の生活や社会の中に入っていく。
別の言い方をすると、国家が社会あるいは経済へ介入するということです。
たとえば貧しい人がいたら助けてあげるということ。
その人の自己実現ができるようにしてあげるということです。
経済や社会に国家が介入していくということは国家のやる仕事が増えます。
なので現代的自由主義だと『大きな政府』になります。
そして現代的自由主義は1970年代くらいまで続きました。
(3)新自由主義
1970年代から新自由主義という考え方に変わってきています。
現在もそうです。
新自由主義という考え方はどうして出てきたのでしょう?
基本的には不況になったということです。
不況になったときに働かない人がいるとしましょう。
その場合、その人の面倒を見る必要があるのでしょうか?
私たちというのは
・勤労の義務
・納税の義務
がありますよね。
日本国民にとって働くことと税金を払うことは義務です。
なのに、納税しない、働きもしない人の面倒を見るなんておかしくないか?
自分たちでなんとかやってもらいましょうという考え方が出てくるわけです。
これが新自由主義です。
だから新自由主義の自由というのはどういう自由かというと
・自己決定
・自己責任
です。
自己決定とは自分の人生は自分で決めましょうという考え方のことです。
そうなると「自分にできることは自分でやってください」
あるいは「民間にできることは民間でやってください」
という考え方が出てきます。
結果、行政改革が行われます。
どうして行政改革をする必要があるのでしょう?
政府が現代的自由主義になったことで大きな政府となり
例えるなら肥満になってしまったわけです。
だから政府はダイエットをしないといけない。
そこで『小さな政府』をもう1回目指すわけです。
余分な脂肪を落とそうと考えます。
自由主義と新自由主義の違いについて例を挙げて解説
こんな感じで自由主義は
古典的自由主義⇒現代的自由主義⇒新自由主義
と移り変わっています。
そして現在は新自由主義です。
たとえば昔からそうですが、今現在でも
就職できる人もいれば就職できない人もいますよね。
そのときに就職できなかった人は努力が足りなかったのか、
それとも経済状況が悪かったのか、
どちらでしょう?
この記事をあなたが読んでいる現在、
不況だとしましょう。
もし就職できない原因が不況であると考えるなら
抽象度を高くすると外的な要因を重視する考え方だといえます。
外的な要因を重視すると現代的自由主義に近い考え方になります。
現代的自由主義だと「そりゃ仕方ないよね。助けてあげないと」
ということになります。
逆に「就職できないのはその人の努力不足だ。
なぜならどんなに不況になったとしても就職できる人がいるから」
と考えることもできますよね。
だって大学生が1人も就職できないわけないですよね。
と考えると就職できないのはその人の自己責任だという考え方につながります。
これは新自由主義の考え方につながります。
これが自由主義(現代的自由主義)と新自由主義の違いです。
どうやって現在の状況を認識するかによって
自由の捉え方も違ってきます。
結果、この記事をご覧のあなたの考え方も違ってくるわけです。
以上のことを図で表現してみますね。
まず古典的自由主義は上記図の右下に入ります。
どうして古典的自由主義は政府への批判が制限されているのでしょう?
このときって制限選挙の時代だからです。
みんなが自由に政府を批判することができました。
そのあと、現代的自由主義ですが、
これは上記図では左上になります。
現代的自由主義の立場では政府への批判はできます。
でも、政府が経済や社会に介入しているという意味で
制限されています。
新自由主義の立場は政治的自由、経済的自由ともに認めています。
だから上記図で右上になります。
これに対して政治的自由、経済的自由ともに制限したものが全体主義となり
上記図では左下になります。
以上のように自由主義といっても自由の意味が変わってきたということを
理解しておきましょう。
どういうスタンスに立つか?というのは
現状が偶然の産物なのか、それとも個人の努力の差なのか?
というところになります。
以上で自由主義と新自由主義の違いについての解説を終わります。