前回の記事で群集と公衆について解説しました。
⇒ルボンの群集心理(群衆心理)とは?わかりやすく解説
⇒タルドが主張した『公衆』とは?模倣の法則についても解説
ただ、一番注目されるのは大衆です。
群集、大衆、公衆といった用語はどれも「たくさんの人々」を意味しています。
でも、群集、大衆、公衆という用語はどれも同じ意味ではありません。
違いがあるということです。
はっきりいってわかりづらいですよね。
そこで今回の記事では群集、大衆、公衆の違いについて
わかりやすく解説していきたいと思います。
それぞれの違いを理解して公衆、大衆、群集を使い分けることができたら
はっきりいってカッコいいと思います。
なので最後までついてきてくださいね。
大衆とは?
大衆社会論というのはいろんなのがあります。
群集ならルボンで公衆ならタルドみたいに大衆の場合には特定の誰かとはいえません。
大衆=mass
ですからね。
mass=『大衆』でもありますが、
『よくわからない塊』という意味でもあります。
たとえば『日本の大衆は・・・』みたいなくだりで会話した時に
それって、目の前にいる『誰か』という意味ではありませんね。
日本全国にいるいろんな年齢、性別バラバラの人を指して言っているわけです。
大衆というのは同じ場所にいる人だけでなく
空間的にバラバラになっているだけです。
大衆1人1人で考えたらみんな違う場所にいます。
なので、大衆はみんなお互いにコミュニケーションを取り合ったりしませんしできません。
また、社会学で大衆という言葉が出てきたらたいていネガティブな意味で使われます。
前回解説した公衆と対比されるような形で
大衆は感情的で非合理的でむちゃくちゃやるような人々みたいな意味合いで使われます。
以上を前提に群集、大衆、公衆の違いについて解説します。
大衆、公衆、群集の違い
まず群集というのは共通の利害があります。
同じ場所にいて、同じスクリーンの前で野球などを見ながら
「日本頑張れ!」みたいな感じで連帯感が生まれていたりします。
こんな感じで群集だと共通の利害があって接近性(近くにいる)があります。
でも、群集の場合は非合理的で感情的です。
⇒ルボンの群集心理(群衆心理)とは?わかりやすく解説
つまり、
・共通の利害があって接近性がある
・でも非合理的で感情的
です。
公衆は前回解説したように新聞紙上で同じネタで討論し合うわけですから
共通の利害があります。
⇒タルドが主張した『公衆』とは?模倣の法則についても解説
でもあくまで新聞紙上です。
近くに住んでいないので接近性はありません。
でも頭のいい人たちが討論し合うので合理性はあります。
つまり、
・共通の利害はあるが接近性はない
・合理的
です。
・共通の利害ない
・接近性ない
・合理性ない
です。
・群集
共通の利害があって接近性がある
でも非合理的で感情的
・公衆
・共通の利害はあるが接近性はない
・合理的
大衆
・共通の利害ない
・接近性ない
・合理性ない
です。