スペンサーはコントの影響をまともに受けています。
コントは社会学を社会静学と社会動学に分けました。
コントさんについてはこちらの記事で詳しく解説しています。
・コントの三段階の法則とは?わかりやすく解説
スペンサーもまた社会学を社会静学と社会動学に分けました。
それくらいスペンサーはコントから影響を受けています。
ちなみにコントはフランスの社会学者で
スペンサーはイギリスの社会学者です。
明治時代の日本により影響を与えたのはコントではなくて
これから解説するスペンサーの社会学だといわれています。
コントの翻訳はほとんどされていません。
でも、スペンサーのいろんな社会学の書籍は明治時代にたくさん翻訳されていて、
自由民権運動などに多大な影響を与えたと言われています。
スペンサーは自由主義の擁護者といわれていました。
明治時代の日本で自由民権運動というのが啓蒙的な役割を果たしていました。
自由という考え方を大衆に植えつけようとしていたのです。
そのときにスペンサーの社会学がかなり理論的な根拠を提供してくれていたので
いっぱい翻訳して明治時代の日本では拡散されていたのです。
ヴィクトリア朝時代のスペンサー、彼の個人主義、自由放任主義は明治時代の日本に吸収されやすく、板垣退助の自由民権運動に影響を与える 彼自身は急速な社会変革を望まず、むしろ明治の保守政治家・思想家から支持された
— コニシノボル (@noborukonishi) July 14, 2019
日本の政府の高官たち(伊藤博文、初代文部大臣の森有礼とか)は大日本国帝国憲法を作るときの参考にするために
イギリスのロンドンにいるスペンサーに会いに行ったそうです。
伊藤博文にしたところで西洋から憲法を移植したにすぎない。伊藤博文は英国のスペンサーから、日本にはキリストでなくても天皇という便利な存在がいるじゃないか、とアドバイスされ、帰国後、大日本帝国憲法を森有礼とともに作成した。
つまり、天皇制は英国人からのアドバイスで考えたんだよ。笑える— 浅井 秀和 @双極性障害 注意欠如多動障害 貧困 生活苦 (@hidekazuasai) December 30, 2018
こんな感じで近代日本の形成にとっても
スペンサーはかなり影響を与えた人だといわれています。
今回の記事ではスペンサーの社会進化論についてわかりやすく解説していきますが、
その前にスペンサーにおける社会学について説明しますね。
スペンサーの社会学
・社会静学
・社会動学
によって成り立っています。
コントさんは社会静学の中で社会有機体説を提唱しました。
でもスペンサーの方が、より発展した社会有機体説を提唱しています。
もう少しわかりやすく説明しますと、スペンサーの方がコントより
学問的に現代に近くなっているから、
より進んだ内容の社会有機体説になっているということです。
つまり、コントの社会有機体説は古臭くて
スペンサーの方が最新だって感じですね。
社会動学においてスペンサーは
社会変動論(どういう社会からどういう社会へ移り変わっていくか)を主張しました。
コントは三段階の法則の話ですね。
コントの三段階の法則は前回の記事で解説しています。
スペンサーはコントの三段階の法則の中でも法律的時期を省いて
軍事的時期と産業的時期をうまく利用していました。
どういうことか?というとスペンサーは社会動学の中で
軍事的社会から産業型社会へ
という社会変動論を述べました。
軍事的時期⇒法律的時期⇒産業的時期
でした。
スペンサーはコントの三段階の法則において真ん中の法律的時期を省いたわけです。
最初の軍事的時期と最後の産業的時期を取り入れているわけです。
それくらいスペンサーはコントの影響を受けているということです。
軍事的社会というのはたとえば、強大な軍事力をもった為政者(支配する権力者)が
人々を強制的に社会に従事させるような社会のことです。
強いものが言ったことをいいなりになって、忠実に守るって感じですね。
これに対して産業革命を経たあとの人々は
自分一人一人が自立した考えを持っていました。
なので、自立した自由な個人が自発的にその社会の中に参加していくわけです。
自分の好きなように生きていくようなイメージでしょう。
たとえば、「私は化学者になって新薬を開発したい」とか。
昔だったら「お前は柿の農家だから柿だけ作っとけ」だったわけです。
自分の意志で自分の仕事を決めれませんでした。
でも、産業革命後では自分の意志で職業を選べたということです。
だから、いろんな仕事に就く人が増えた結果、
職業の分業体制が確立していきました。
自分で自分の職業を選ぶわけですから
責任も伴いますから、ルールに従ったりルールを作っていきます。
それが産業型社会です。
自立した個人が自発的に社会の中で人と人との共同関係を築いて
社会を作っていくのが産業型社会です。
かつては強大な軍事力を持った人たちが『強制的に』人々を自分の支配に
従わせていくような強制的な社会から
自分の個性を発揮してなりたい自分の職業を選んで、
自発的に他の人との連帯を保ちながら社会を作っていくのが産業型社会です。
軍事的社会よりも産業型社会の方が
より社会的に進んでいますよね。
他人から強制されるのではなくて
自分が自発的になりたい自分になっていく、
そして他の人との連帯を築いていく社会の方が自由で平等で自発的な社会ですよね。
他の人から嫌々ながら従わせられる社会は嫌ですよね。
自分が自発的にやりたいです。
だから軍事型社会から社会方社会へという形で
人間は進歩、発展するということです。
スペンサーの社会学は自由というのを非常に重んじます。
最初の古典的な自由主義は『国家からの自由(政府からの自由)』です。
ありたい自分のままに放っておかれる自由を何よりも尊重していくわけです。
まさにそういう考え方を自分のものとして持っています。
だから強制されるのが嫌で
自分が自発的になりたい自分になっていく。
そして他の人との連帯で社会を作っていくあり方が望ましいというふうに
スペンサーは考えていました。
スペンサーが提唱した社会進化論とは?
ところでスペンサーに対して影響を与えた生物学者がいます。
チャールズダーウィンという方をご存じですか?
生物進化論で有名な生物学者です。
周りの環境に対して適応できる生物は進化発展していって生き残っていきます。
でも、周りの環境の変化についていけない生物は自然に淘汰されて行って消えていってしまいます。
これと同様に人間の社会というのも自由競争して
競争に勝ち残った人間がどんどん勢力を伸ばして勝ち組になっていき、
競争に負けた人は表舞台から退場していってしまう。
そういうのは避けがたいことだと考えたのがスペンサーです。
これがスペンサーが提唱した社会進化論です。
ちょっと前、タピオカミルクティーが流行りました。
数年前はすごく人気で行列ができていました。
そんなこともあって、タピオカ専門店が急増しました。
でも、2022年現在、タピオカは人気がなくなり
どんどん店がつぶれていっています。
こういうことは仕方がない事だよって
スペンサーは主張したわけです。
これが社会進化論ということですね。
ここでもスペンサーは自由競争を重んじるわけです。
アダムスミス的な考え方をスペンサーは信仰するわけです。
それからダーウィンの生物進化論の考え方を社会にも当てはめて
社会進化論という考え方を提唱したのがスペンサーです。
以上で解説を終わります。