ベヴァリッジ委員会の報告がベヴァリッジ報告なのですが、
委員会には1人しかいません。
ベヴァリッジ委員会
1941年は第二次世界大戦の真っただ中です。
保守党のチャーチル内閣は、戦争が終わったら
社会保障をどうしていったらよいか?
悩んでいました。
そこで委員会を作ったんです。
そこで一人だけの組織として
委員長となったのが、ベヴァリッジさんだったんです。
ベヴァリッジさんが1人で委員会を開いていたんですね(苦笑)。
ベヴァリッジさんはセツルメント運動にも参加していた人です。
⇒セツルメント運動とは?わかりやすく説明
また、ベヴァリッジさんは失業保険政策の
立案にあたった経済学者でもありました。
だから貧困対策なんかに問題関心がある人です。
ベヴァリッジ報告とは?
ベヴァリッジさんは、意見が対立していたケインズさんの思想であっても
「貧困対策のためなら」と取り入れ、
報告書をまとめたんです。
これがベヴァリッジ報告です。
1942年にチャーチル内閣に提出しました。
ベヴァリッジ報告その後
チャーチルは保守党ですが、
このときは戦時中だったので
労働党と大連立を組んでいました。
ただ、ベヴァリッジ報告が出ても
戦争中ですから実現にはうつせません。
そして戦争に勝利したので、チャーチルは国民的英雄になりました。
ここでチャーチルは「このタイミングなら選挙に勝てる」と思い
選挙をやりました。
が、チャーチル率いる保守党は負けました。
確かにチャーチルは偉大な人だと
国民は思っていました。
でも、みんな戦争による肉体的、精神的、経済的な損害で
疲れていました。
だから安心を求めていたんです。
そこで、より社会保障に手厚い労働党を国民は求めたため、
労働党が勝利しました。
逆に労働党が買ったからこそ
ベヴァリッジ報告が実現されていったと言われています。
チャーチルさんの指示でできたベヴァリッジ報告なのに
最後は労働党が実現させるっていうのは
なんとも皮肉な話ですね。
ところで
ベヴァリッジ報告の前提になっているのは
・児童手当
・完全雇用
です。
イギリスにおける19世紀のころの子供って
すごくいい加減に扱われていました。
でも、20世紀に入って子供というのは
みんながきちんと育てていかないといけないという
考え方に変わっていったんです。
ベヴァリッジ報告の段階になると
子供というのは国の宝だという認識に変わっていきました。
だから国が責任をもって育てていかないとだめだと
なったんです。
また、貧困対策も国の責任だと考えました。
人々に収入がないと貧困から脱出できません。
だけど仕事を見つけたいといっても
自力で見つけるのはすごく難しい状態でした。
特にネットがない時代ですからね。
情報もないですから。
そこで仕事を作り出すのは国の役割だと考えました。
つまり、国の責任で仕事を作り出す必要があるということです。
ベヴァリッジ報告:社会保障
ベヴァリッジ報告では社会保険がベースになっています。
社会保険というのは自分が払った保険料で将来助けてもらうものです。
つまり社会保険というのは
自分が払った保険料で将来助けてもらうという意味があります。
将来病気になったり介護が必要になるかもしれないから
今のうちに保険料を払っておき、
将来リスクに陥った自分を助けてもらおうってのが社会保険です。
なので基本は自分で頑張る意図が社会保険にはあります。
逆に公的扶助は最後のときの歯止めの意味合いがあります。