今回の記事ではマルクスの階級論について
簡潔にわかりやすく解説していきたいと思います。
マルクス階級論
今回は不平等の話です。
不平等といっても昔の不平等と現在の不平等は違います。
前近代社会は身分という形で上下関係が定められていましたが、
近代社会に入りますと、『階級』が生まれました。
マルクスの階級論における『階級』とは
生産手段の所有、不所有を基準にして決まる上限関係のことです。
生産手段とは物を作るための道具とか材料のことです。
たとえばカバンを作ろうと思ったら材料としての革や
針や糸やハサミなどが必要になりますが、
ただカバンを作るくらいならそんなに大げさなテクニックまでは必要ないかもしれません。
ただ、産業革命が起こって機械で大量生産する時代になりますと
巨大な機械や工場まで所有できません。
巨大な機械や工場を所有しているかどうかが
決定的な分断線になっています。
このような生産手段を持っている人を資本家で
持っていないけど雇われることで初めて働ける人を労働者といいます。
ですが、マルクス経済学では資本家は何も作っていなくて
価値を生み出しているのは労働者だけだという風に考えます。
労働者が一生懸命働いて作り出した価値を資本家が
盗み取っているだけだという風に捉えます。
そこでマルクスさんは資本家と労働者の関係は搾取と不搾取の関係だといいます。
つまり、搾り取る側である資本家と搾り取られる側である労働者の関係です。
あとは資本家は自分で工場や機械を持っているし、自分で商品を生産できます。
でも労働者は雇われてお金を手に入れることができます。
結局労働者は資本家に雇われなければ話になりません。
自分の人生をコントロールできるかどうかということから
支配被支配の関係となります。
つまり資本家は支配側、労働者は被支配側ということです。
ただ、資本主義の世界でも厳密には資本家と労働者だけでんく
資本家と労働者の間に入る中間階級があります。
中間階級とは自作農(自分で田んぼを耕して玉ねぎなどを作る人)や自営業者(八百屋さんとか)の人たちのことです。
自営業の人たちは自分で田んぼやお店をもって稼いでいるわけです。
そういう意味では何も持たない労働者よりは上です。
でも資本家よりは下です。
そういう意味で自作農や自営業者は資本家と労働者の中間に位置するため中間階級と言われます。
ですが、資本主義の競争がどんどん激しくなっていくと
中間階級もどんどん没落していきます。
たとえばお酒はいろいろ規制されていました。
だから酒屋さんは保護されていましたが、
現在は競争が激しいため、酒屋さんはスーパーには勝てません。
ビールを買うにしても個人商店の酒屋さんで買うよりも
マックスバリューなどのスーパーでビールをまとめ買いしたほうが
圧倒的に安く買えます。
しかもまったく同じビールなのにです。
その結果、自営業者はどんどん潰れていくわけです。
ただ倒産したとしても、自営業者も1人の人間。
その後の人生があります。
悔しいけど、その元自営業者は最近まで商売敵だったスーパーなどに
自分のこれまでの経験を活かして就職するわけです。
つまり、中間階級だった自営業者が労働者になっていくわけです。
これは資本家同士だって同じです。
仁義なき戦いです。
たとえば銀行。
昔はたくさん銀行がありましたが、最近ではやっていけないから
どんどん合併している状況です。
その結果、資本主義が高度化して最終的に生き残るのはほんの一握りの大資本家と
その他大勢の最低生活の労働者といった感じで
真っ二つのに二極化されました。
こんな感じでほんの一握りの資本家しかいないとなると
労働者も仕事を選べなくなるわけです。
たとえば今勤務している会社がぶらっ企業だったとしましょう。
1日18時間労働で週1休みとか。
だったら辞めたらよいわけです。
労働者も働く場所を選ぶことができます。
でも、一握りの資本家しかいない状況になると会社を選べません。
どこに行っても結局、その資本家の系列関係になるので
他の会社に転職しても同じ条件で働く羽目になります。
結果、労働者は遺棄場所がないので低賃金で長時間労働に耐え抜くしかありません。
そういう意味でどんどんどんどん搾取されてしまうわけです。
これをマルクス階級論においては『窮乏化理論(きゅうぼうかりろん)』といいます。
また二極分化されていきます。
ほんの一握りの大資本家と最低生活を強いられるその他大勢の真っ二つに分かれていくとマルクスさんは主張しました。
こんな感じで真っ二つに分かれたときに
どうなるのでしょう?
最終的に労働者は我慢の限界に達します。
確かに労働者の方がお金がないため力は弱いです。
でも、人数は労働者の方が圧倒的に上です。
だから労働者が一致団結すれば資本家に勝てます。
最終的に資本家VS労働者となり、労働者が勝ち、社会主義が達成されると
マルクスは主張しました。
さらにマルクスは歴史法則主義者です。
自然法則と同様に歴史の流れにも法則があるということです。
月と太陽が従っている法則のように歴史の展開にも法則があると考えている人です。
だからこそ資本主義から社会主義への進展というのは歴史的必然であるとマルクスさんは主張しました。
するとこの世に労働者として生まれたからには
戦士となる使命を担っていると自覚しなければいけないということです。
こんな感じで自分の役割を自覚している労働者のことを対自的階級(たいじてきかいきゅう)といいます。
対自的階級=自分に向き合うということです。
これに対して無自覚な労働者を即自的階級といいます。
即自とは自分の生きる意味がわかっていないという意味で
対自というのは自分を客観的に見つめなおしているので
自分の役割をきちんと自覚しているという意味になります。
マルクスは「歴史的必然だ。必ず資本主義から社会主義革命が起こる」といえばいうほど
「革命運動はやる気が起こらない。歴史的必然なら、何もしなくても
勝手に社会主義革命が起こるはず」とフリーライダーが起こる可能性があります。
フリーライダーについてはこちらの記事で解説しています。
なぜ公共財は市場の失敗を起こすのか?問題点について解説
でもマルクスはフリーライダーを許しません。
マルクスは歴史法則があるといっても人間の努力は無駄だと言いません。
資本主義から社会主義という方向性は変わらなくても、
人間の努力により、加速すると考えています。
マルクスの階級論は悲しい
マルクスの階級論は悲しい話です。
労働者が徹底的に搾取され続け、苦しみがずっと続いて
やっと革命によって幸せになるわけです。
革命が起こるまではずっと苦しいままです。
革命により苦しみから解放されるのであれば
短期間で終わらせた方が良いです。
何もしなければ革命まで200年かかるかもしれません。
でも、みんな頑張れば10年で革命が起こるかもしれません。
だからこそ、マルクスは
革命を外から見ているだけのフリーライダーは許さないわけです。
マルクスは「時計の針は元に戻らないが、自らの手で進めることができる」と主張しました。
そうやって歴史の針を先に進めていくということですね。
マルクスの階級論は現在でも通用しているの?
マルクスの階級論は現在、一部当たっています。
実際にマルクスの時代には影も形もなかった社会主義の国、たとえば中国が
現実に登場しています。
そういう意味ではマルクスの考え方は当たっています。
ただ、マルクスは資本主義が最高潮に達して最終段階で初めて
次にようやく社会主義に行くと考えましたが、
実際に社会主義が起こった中国やロシアはむしろ遅れた国です。
十分に資本主義化も進んでいないのに
いきなり社会主義になってしまいました。
一方、資本主義の最先端のヨーロッパ、アメリカ、日本では
実際に社会主義革命は怒りませんでした。
それにマルクスによると格差がどんどん拡大して
社会が二分化されて対立がエスカレートして革命が起こると考えましたが
実際は先進国には資本家と労働者の中間的な階級であるホワイトカラーが20世紀に入って急増しました。
ホワイトカラーとは事務労働者のことです。
マルクスの時代の労働者のイメージはブルーカラー(肉体労働者)です。
たとえば直接現場で生産工程についている労働者はブルーカラーです。
でも、20世紀に入ってホワイトカラーである専門職や事務職などが増えました。
直接生産工程に関わっていない労働者が増えたということです。
ちなみにブルーカラーとホワイトカラーというのは服の色が関係しています。
現場の労働者は汚れば目立つから濃い色の服を着ています。
泥や油を目立たせないように。
これに対して事務職の人は真っ白なシャツを着ても業務中、汚れません。
とにかく20世紀以降、ホワイトカラーが増えました。
ホワイトカラーは労働者であっても高収入の人もいます。
マルクス時代の労働者のような低賃金ではありません。
とはいえ、ホワイトカラーは肉体労働者より給料がよくても
資本家より下なので中間階級です。
結果、同じ中間階級でも昔からいる自営業者を旧中間階級で
20世紀に入って登場したホワイトカラーを新中間階級と分けられるようになりました。
マルクスがいた19世紀は資本家、中間階級(自営業者)、労働者に分かれていた。
20世紀になると資本家、旧中間階級、新中間階級、労働者に分かれていた。
ということです。
このマルクスさんの考え方に反抗したのがロストウさんです。
ロストウさんはアメリカケネディ政権で大統領補佐官も務めた経済学者です。
ロストウさんは収斂理論やテイクオフ論で有名なので記事にしてみました。
⇒ロストウのテイクオフ論をついてわかりやすく解説
⇒収斂理論とは?わかりやすく解説