参考文献・URL
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前回の記事ではプラザ合意について解説しました。
⇒プラザ合意についてわかりやすく解説
プラザ合意によって円高がどんどん進み、輸出に頼っていた1980年代の日本は困りました。
そこで当時の日本は内需拡大策に奔走していました。
⇒内需拡大策についてわかりやすく解説
今回の記事ではバブル景気(平成景気)についてわかりやすく解説しますが、
その前に内需拡大策の復習を先にやっておきましょう。
プラザ合意によって円高不況に陥り、
外国に日本車などの商品が売れなくなりました。
実際、1ドル240円台から150円台にまで円高が進みましたから。
結果として円高不況になっていきました。
だったらということで内需拡大策を日本は探りました。
内需とは『国内需要』という意味です。
国内の需要を拡大していってそれで外国に物を売って稼いでいた分を
取り戻せばいいじゃないか!ということでした。
⇒需要と必要の違いをわかりやすく説明
経営方針を輸出から日本国内で商品を売るということで
不況を切り抜けようとする策を内需拡大策といいます。
当時は中曽根康弘首相でしたが、政府主導で経済を
良い方向に持っていこうとして、金融政策においても
かつてないほどの金融緩和がなされました。
公定歩合は史上最低水準の2.5%まで下がりました。
金融緩和は買いオペレーションを行うのでしたね。
⇒買いオペレーション(買いオペ)とは?簡単に説明
⇒金融政策とは何か?わかりやすく解説
買いオペレーションの復習をしておきますと、
日本銀行が国債、有価証券を買って現金を投入することでしたね。
また金融緩和なので準備率を下げる方向でしたね。
結果、日本中にお金が溢れかえりました。
ここからバブル景気(平成景気)が始まります。
バブル景気(平成景気)についてわかりやすく説明
バブル景気は1986年12月から始まったといわれています。
1986年から景気の拡大局面に入っていきました。
そして1991年、ソ連が崩壊した年まで続いたといわれています。
これはいざなぎ景気の次に長いといわれていますが、
とにかく大型の景気拡大局面だったことは間違いありません。
この時期のサラリーマンは毎晩毎晩飲み歩くような
豪快な日々を過ごしている方が多かったようです。
労働状況は?というとバブル景気(1986年)の
パートタイムを含む有効求人倍率は0.62でした。
ちなみに2019年の有効求人倍率は1.60です。
有効求人倍率=月間有効求人数÷月間有効求職者数
です。
なので、有効求人倍率が1より小さい方が労働者にとっては有利です。
バブル景気の有効求人倍率が0.62なので、
履歴書さえ出せば就職できたような時代だったといえますね。
完全に売り手市場ということで、就職する側が有利なポジションに立った時代でした。
特に完全失業率もバブル景気ころの1986年は2.8%で
2010年は5.1%です。
最近はアベノミクスの成果で完全失業率は2019年で2.4%と下がりましたが
それまではずっと完全失業率が5%前後で推移していました。
また、地価、株価という資産価値あるものにお金が流れていきました。
注目すべきは物価です。
物価は以外と安定していました。
ふつうは景気が拡大すると町にお金があふれかえると
消費者物価が上がるはずなのに、比較的安定していました。
財政状況も公債依存度が劇的に低下していきました。
1987年に消費税を導入したのがありましたが、
財政状況は好転していき、税収がすごく上がっていきました。
日本の税金は累進課税ですからね。
⇒支出税とは?所得税と比較しながらわかりやすく解説
日本全体の国民所得などが上がっていったので
税収が上がっていったわけです。
ところが、バブル景気も長くは続きません。
1989年5月から金融引き締め政策を行いました。
たとえば公定歩合も2.5%から引き上げられ、1990年には6%になりました。
バブル景気は土地は所有しておけば上がるといわれていました。
それで投機的な土地取引が行われていました。
そこで総量規制が行われました。
投機的な土地取引の場合、
銀行が行う融資額を一定水準以下に抑えるという規制が総量規制です。
他にも土地に対する税制も改革が行われました。
地価税や相続税などです。
こうやってバブル景気が抑えられていきました。
バブル時代はさらに銀行は「お金を借りてくれ!」という時代でした。
「金返せ!」ではありません。
ただ、銀行もバカではありません。
必ず担保をとりますから、お金を返せなくなったら
土地などの担保を銀行は取り上げます。
バブル景気の土地神話として『土地は持っていれば必ず上がる』というのがあったので
かなり無茶苦茶な担保価値を設定していたりしました。
たとえば地価2000万円の土地があったとしましょう。
いずれ土地の価値は上がるということで
4000万円としての担保価値と銀行は認めていたのです。
もしお金(たとえば3000万円)を返せなくなったら『4000万円の価値のある土地を取り上げますよ』
という契約です。
結局、バブルがはじけてしまったら土地は4000万円にならずに
2000万円の土地がもっと下がっていったりします。
つまり担保割れを起こしていったわけです。
これこそが不良債権というやつです。
不良債権というと、返還されない借金というイメージです。
銀行から「御金返せ!」と言われてもない袖は振れません。
では「あなたの土地をもらいますよ」となっても
3000万円貸している銀行からしてみると、2000万円以下の価値になった土地(たとえば1600万円)を
もらっても、貸したお金が戻ってくるわけではありません。
では3000万円ー1600万円=1400万円という
不足分のお金を誰が払うの?となってもだれも返せないという状況になったのです。
これが不良債権問題です。
これに関しては大胆な公的資金の導入でなんとかしていくのですが、
これはバブル崩壊後の負の遺産となっていきました。
以上でバブル景気についての解説を終わります。